タイ国立大学教員のぶっとい使命感




「俺たちは国立大学の教員として、今は体調不良で地方に行くことの出来ない王様の代わりとなって人々の幸福のために尽くすこと、それが使命なんだ」

以前紹介した社会貢献に注力する芸術の先生たちと、先週末に呑んだときに彼からでたセリフである。




たとえ一地方の小さな大学といえども、先生陣はタイの名門大学を出た方ばかりで、一定程度以上の知識を有しているし、思慮深い。

おそらく、王様であるとか、国家であるとか、そういったものが創られた”想像の産物”的な一面も有しているという、いわばそれらを相対化する議論も知っているはずだ。



それでも、生まれた時から受ける王様の威光をめぐる教育というのは、やはりすごいようだ。

彼らの使命感にまで直結しているんだから。



でも、彼は言う。

「現国王は本当に、自らの命をかけて人々のために力を尽くしているんだ。だから、心から尊敬するし、俺らの”父”なんだ。もしも、ただ王様というだけで、何もしないような名ばかりの王様だったら俺の思いは違うよ」

要するに今のタイの人々は現国王の仁政に大いなる尊敬の念を抱いている。

王は王らしく振る舞うことで王たり得るのであり、それが今のタイでは完成されているのだ。


王様のために人々の幸福と発展の手伝いをするという使命を明確にもったタイの教員。

これだけ明確で太い精神的な拠り所があるというのも、ある意味羨ましく思う。

ということで僕も、郷に入った以上はその郷に従って、日本とタイの文化交流を進める背景として、”タイ国王のため”という意識をちょいと持とうと考えた次第である。



ちなみに、彼と彼のルームメイトである別の先生は口を揃えて言った。

「もし1000人が犠牲になれば現在の王様がその分長生きできる、というようなことがあったら、俺はいの一番にその犠牲者になる」と。

僕には正直言って、さすがにそこまでの思い入れはない。

やはり僕の使命感は、どうも彼らに比べるとまだまだ薄っぺらい。




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2 件のコメント:

  1. タイ国民の国王様に対する思い入れがハンパじゃなく強いからこそ
    時々考えてしまうんですよね、
    『国王様が亡くなったらタイはどうなってしまうのか』って・・。

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  2. 確かに。あまり考えたくないですが、それはありますよね。
    タイの人びともそこには触れないようにして、とにかく国王のご健康と長寿をお祈りしているようです。

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