谷恒生のバンコク楽宮ホテル (徳間文庫)
が、古本屋で100円で売られていた。こんな名著が100円かぁ・・・と速攻で購入。
やはり、おもしろい本だった。
1970~80年代のバンコク・チャイナタウンで過ごす日本人貧乏旅行者・バックパッカーたちの視点から、タイやその周辺諸国の話題が語られ、興味深い。
周辺諸国の戦争、カンボジアとの国境難民問題、薬物、売春など、ドロドロとした話題も多い。主人公が、タイーカンボジアの国境付近の草むらにて、タイ人兵士から暴行・殺害、放置された少女の遺体を見つめるシーンなんかは、悲惨な戦争の現実として強く印象に残る。
当時の異常な社会情勢の中で浮き彫りにされる人間のリアルな部分が描かれているといえよう。
とはいえ、この物語。扱うテーマは時に重いものを含むものの、基本的には海外旅行にでた若者たちの人間ドラマであり、おもしろく読める。
今でこそ、沢木耕太郎や藤原新也、小林紀晴などの著作によって、バックパックを背負っての個人旅行は一般的になった。しかし、バンコク楽宮ホテル出版当時は、日本にバックパッカーという言葉があったかどうかも不明なくらいだ。その意味でこの本は、一般的になる前のバックパッカーの生態をうかがい知ることができる。
そして、思うことは、昔も今も、バックパッカーが考えることにあまり大差はないなぁということである。何かを求めて外に出てみるという本質的な感情は今も昔も変わらないのだ。
とはいえ、バックパッカーを取り巻く環境や、その環境下での旅のスタイルは、大分変わったことも事実だ。
なんせタイのバックパッカーの聖地カオサン通りには、今、スタバやアップルの商品を扱う店(実際にはiStudioというサードパーティのお店。アップルからオーソライズを得てはいる)が普通にある。
【2009年現在のカオサン】
バックパッカーの中にはiPhoneをもって町を歩いている人がかなりいる。いまや、iPhoneさえあればネットや国際電話がすぐにできるので、iPhoneはバックパッカーにとっても重要なツールとなっており、そうした現状に対応して、カオサンにもアップルを扱う店ができているわけだ。
『バンコク楽宮ホテル』が描かれた時代はもちろん、ちょっと前の時代においても、バックパッカーは、たとえばタイならタイでの特別な環境下で、自国から離れた孤独を受け止めつつ旅を楽しみ、そして時に、そこで知り合ったバックパッカー同士が繋がっていくなんて様子が多くあった。
『バンコク楽宮ホテル』もそんな話しだし、小林紀晴『アジアン・ジャパニーズ』で描かれるバックパッカーたちも孤独な旅をしながら自分を見つめていくような人々だった。
しかし、いまやiPhoneさえ持っていれば、いつでもどこでも、瞬時に自分の国の情報を取得し、瞬時に連絡を取ることができるので、これまでにイメージされるようなバックパッカー独特の孤独性ー異国の地で、知り合いもいなく、言葉も通じないような孤独感ーは薄れてきている。
今のバックパッカーはどこの場所にいても、比較的容易に自国の友人・恋人・家族に連絡をとり、結びつくことができるのだ。実際、カオサンのカフェでは、コンピューターを使って、スカイプの会話を楽しんでいる人や、iPhoneのアプリを一人楽しむ人を多く見かけるものだ。
大分、バックパッカーの旅のスタイルも変わったものである。
ただし、ひとつ言いたいのは、僕はこうした事態を別に憂うわけではない。もともと僕はバックパッカーの同士のコミュニティ的なつながりに興味はないし、バックパッカーという言葉自体にも然したる思いはないからだ。
僕は旅行に特別な意味を付与するわけではなく、単純においしい飯や酒が呑み食いできて、いろいろなところを楽しく観光すれば良いんじゃないかという派なのだ。
カオサンにいるバックパッカーの様子が一昔前と違うのは、要は置かれている環境の問題。
だから、カオサンの安宿のベッドの上で横になって、YouTubeを見て一日を過ごすっていうのも、ひとつのスタイルだし、別にいいんじゃない?って感じ、である。
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余談だが、
タイ人に「日本のお笑い芸人が怪我したらしいね」と言われた。
誰だろう?と思ってニュースを見ていると、出川哲郎さんだった。
タイのニュース報道によると、パタヤーのビーチで『テレビチャンピオン』の番組収録中に骨折したとのこと。
僕は出川さんファンなので、早く怪我が治ってほしいものだ。
ていうか、テレビチャンピオンって終わってなかったけ?
タイのニュース報道は、あまりあてにならないからなぁ。
が、古本屋で100円で売られていた。こんな名著が100円かぁ・・・と速攻で購入。
やはり、おもしろい本だった。
1970~80年代のバンコク・チャイナタウンで過ごす日本人貧乏旅行者・バックパッカーたちの視点から、タイやその周辺諸国の話題が語られ、興味深い。
周辺諸国の戦争、カンボジアとの国境難民問題、薬物、売春など、ドロドロとした話題も多い。主人公が、タイーカンボジアの国境付近の草むらにて、タイ人兵士から暴行・殺害、放置された少女の遺体を見つめるシーンなんかは、悲惨な戦争の現実として強く印象に残る。
当時の異常な社会情勢の中で浮き彫りにされる人間のリアルな部分が描かれているといえよう。
とはいえ、この物語。扱うテーマは時に重いものを含むものの、基本的には海外旅行にでた若者たちの人間ドラマであり、おもしろく読める。
今でこそ、沢木耕太郎や藤原新也、小林紀晴などの著作によって、バックパックを背負っての個人旅行は一般的になった。しかし、バンコク楽宮ホテル出版当時は、日本にバックパッカーという言葉があったかどうかも不明なくらいだ。その意味でこの本は、一般的になる前のバックパッカーの生態をうかがい知ることができる。
そして、思うことは、昔も今も、バックパッカーが考えることにあまり大差はないなぁということである。何かを求めて外に出てみるという本質的な感情は今も昔も変わらないのだ。
とはいえ、バックパッカーを取り巻く環境や、その環境下での旅のスタイルは、大分変わったことも事実だ。
なんせタイのバックパッカーの聖地カオサン通りには、今、スタバやアップルの商品を扱う店(実際にはiStudioというサードパーティのお店。アップルからオーソライズを得てはいる)が普通にある。
【2009年現在のカオサン】
バックパッカーの中にはiPhoneをもって町を歩いている人がかなりいる。いまや、iPhoneさえあればネットや国際電話がすぐにできるので、iPhoneはバックパッカーにとっても重要なツールとなっており、そうした現状に対応して、カオサンにもアップルを扱う店ができているわけだ。
『バンコク楽宮ホテル』が描かれた時代はもちろん、ちょっと前の時代においても、バックパッカーは、たとえばタイならタイでの特別な環境下で、自国から離れた孤独を受け止めつつ旅を楽しみ、そして時に、そこで知り合ったバックパッカー同士が繋がっていくなんて様子が多くあった。
『バンコク楽宮ホテル』もそんな話しだし、小林紀晴『アジアン・ジャパニーズ』で描かれるバックパッカーたちも孤独な旅をしながら自分を見つめていくような人々だった。
しかし、いまやiPhoneさえ持っていれば、いつでもどこでも、瞬時に自分の国の情報を取得し、瞬時に連絡を取ることができるので、これまでにイメージされるようなバックパッカー独特の孤独性ー異国の地で、知り合いもいなく、言葉も通じないような孤独感ーは薄れてきている。
今のバックパッカーはどこの場所にいても、比較的容易に自国の友人・恋人・家族に連絡をとり、結びつくことができるのだ。実際、カオサンのカフェでは、コンピューターを使って、スカイプの会話を楽しんでいる人や、iPhoneのアプリを一人楽しむ人を多く見かけるものだ。
大分、バックパッカーの旅のスタイルも変わったものである。
ただし、ひとつ言いたいのは、僕はこうした事態を別に憂うわけではない。もともと僕はバックパッカーの同士のコミュニティ的なつながりに興味はないし、バックパッカーという言葉自体にも然したる思いはないからだ。
僕は旅行に特別な意味を付与するわけではなく、単純においしい飯や酒が呑み食いできて、いろいろなところを楽しく観光すれば良いんじゃないかという派なのだ。
カオサンにいるバックパッカーの様子が一昔前と違うのは、要は置かれている環境の問題。
だから、カオサンの安宿のベッドの上で横になって、YouTubeを見て一日を過ごすっていうのも、ひとつのスタイルだし、別にいいんじゃない?って感じ、である。
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余談だが、
タイ人に「日本のお笑い芸人が怪我したらしいね」と言われた。
誰だろう?と思ってニュースを見ていると、出川哲郎さんだった。
タイのニュース報道によると、パタヤーのビーチで『テレビチャンピオン』の番組収録中に骨折したとのこと。
僕は出川さんファンなので、早く怪我が治ってほしいものだ。
ていうか、テレビチャンピオンって終わってなかったけ?
タイのニュース報道は、あまりあてにならないからなぁ。