ワットプー付近まで、あいかわらずのどかな道が続く。
何もないなぁと思っていると、小さな家がポツリ、ポツリ。
集落だ。
学校もある。
何か飲み物でもと思い、日光をよけてボーとしている男達のいる商店に入った。
店のオヤジは裸だ。
「ワット・プーに行きたいのだけど、この道であってます?」
「ああ。この道をまっすぐさ。近いもんだ」
近いのか、と安堵したが、しかし、ここで親父が半笑いになった瞬間を、僕は見逃しはしなかった。
どうも怪しい。
地図で見ても50キロはある道のり。近いだろうか。まぁ、いいか。
さて、今回のラオスの目的はラオトゥン(中腹ラオ)をもっと知ろう!ということ。
そこで裸のオヤジに、ラオトゥンのことを聞いてみた。
「ラオトゥン?ああ、山の連中か。ここいらにはいないよ。
俺らはラオルム(平地ラオ)さ。彼らに会いたければ、もっと山へ行ったほうがいいぞ」
「ええ。そうですね。ただ、今から行くワットプーはもともと、ラオトゥンが大きく関わっているんじゃないでしょうかね?ラオトゥンはもともとは平地に住んでいたわけで・・・」
「昔は知らんが、今、ワットプーはラオスの宝だ。
なんとも素晴らしい、遺跡だよ。見に行くといい」
まぁ、さっき道を聞いたくらいだから、実際に今から行くんだけどね。
ところで、オヤジの言葉。
ワットプーはラオスの宝・・・
言ってみれば、ラオルムの宝。
そこにはラオトゥンに対する意識があまり見られないようだ。
これまでにラオス国家が実施してきた、ラオルム中心のナショナリズム的歴史観や世界観が、こんな辺鄙な田舎にまで根強いている。
うーん。
歴史の中心からは周縁として見られるラオトゥン。
彼らの側から見た歴史像も、今後どんどん描かれなくてはいけないだろう。
別に立場を逆転させて、彼らを中心に、ラオルムを周縁に、という歴史を描かねばというわけではない。
そうではなくて、様々な面の歴史像が提出されて、ナショナルヒストリーが相対化されなくては、ということだ。
いうならば、”歴史像の選択肢”を作らねばってこと。
「そうだ。それを担うのは俺しかいない!」
ジリジリと照りつける日光の下、変な意識と根拠のない自信を胸に、バイクを見つめた。
「気をつけて行ってこいよ!」
オヤジのこの言葉は、これから待ち受ける悪路を想定してのことだとは、このとき僕はまだ知らなかった。
応援のほど、よろしくお願いいたします
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