ラックムアン(国礎柱)と生き埋め伝承
国を守護するラックムアン(国礎柱)が建設されたとき、たくさんの人びとが生き埋めにされたという伝承がある。
ラックムアンを建設する際、城門建設予定地を通りかかった人は、突然、役人に「イン、チャン、マン、コン」と声をかけられた。それに対して通行人が返答した場合、有無を言わずにラックムアンの場所に生き埋めにされたのだ。
それは、犠牲者の怨霊が、ねんごろな供養を受けることによって、この世を守護すると信じられたからである。怨念が強ければ強いほど、国を守護する力も強まるのだという。
そんなちょっと恐ろしく悲しい伝承をもつラックムアンだが、現在は平和そのものだ。多くの人びとが参拝に訪れている。引っ切り無しだ。
ラックムアンは、小さなお堂内にある。
金色に輝く2本の柱がそれであり、長いほうは、ラーマ1世がトンブリーからバンコクに遷都した際に建てた。短いほうのラックムアンは、ラーマ4世によって建てられた。
ラックムアンは男性性器を象徴しており、参拝に訪れる人びとは、豊穣や現世利益の願いをこめるという。
すぐ近くにある王宮寺院(ワット・プラケーオ)は、仏教的な色彩が濃く、きわめて国家的な寺院であるのに対して、こちらラックムアンは、土着信仰に基づく、きわめて現世的、個人的なものなのだ。
たくさんの人びとが犠牲になったラックムアン。そんな悲しい話があったことが信じられないほど、ゆったりとした平和な時間が流れていた。
しかし、日本人である僕に、必死に詐欺をはたらこうとするタイのおばちゃんが付きまとってきたのには、まいってしまった。ATMがどうとか、足を怪我しててお金がどうとか、早口な日本語でまくしたててきた。満面の笑みで。
そこだけは、平和な時間ではなかった。
参考:友杉孝『バンコク歴史散歩』河出書房新社・1994年
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