突然だが僕は、膝を脱臼することがある。先日も、日本の花見に調子にのり酔った僕は、友人達とフリスビーに興じ、膝を盛大にはずしてしまった。




                          (小学校の同級生撮影)


フリスビーの横で膝を抱えてうずくまる僕と、それを心配そうに見つめる竹工家の友人。そんな僕らを、冷静なもう一人の友人は、特に心配する様子無く、こうして写真におさめてくれていた。

痛みの山場を越えて、ふと冷静な友人の方をみると、彼はクイッとワインを呑んでいた。彼は小学校一年の頃から、そんなスタンス。決してぶれていない。そして、彼もタイが大好きだ。



話がそれてしまった。僕のはずれ膝に戻そう。

付き合いはじめは、高校の卒業式を間近に控えた体育の時間だ。サッカーのプレー中、一人ボレー的なことを試みて、一人空中でバランスをくずし、一人体と足のバランスが無茶な方向で着地。思わぬ激痛で膝を見れば、見慣れた膝が二倍の大きさに拡大されていた。骨が完全に外れ、ズレたのだ。

焦った僕はガキリ!っとその場で膝を入れ、しばらく痛みにうずくまっていた。でも、なぜか笑っていたように思う。試合とは全く関係のないところで、一人のたうち回っている自分に、どこか切なさを感じた、そんな笑いだったのかもしれない。

そして、その後一ヶ月ほど、松葉杖生活を送った。

卒業アルバムを開けば、松葉杖を小脇に抱えて笑う、若き日の自分が写っている。



タイでもはずしている。

とある年、大晦日。

友人らとの新年パーティーに備えた鍋の食材を、大型スーパービッグCのレジで打ってもらっていた。すると、果物にバーコードがなかったため、レジ打の途中だが、僕は急ぎ売り場まで行ってバーコードを貼ってもらった。

その帰路、レジまであとわずかというところで、突然に僕は膝をぐにゃりと曲げる。大晦日ということのワクワク感も手伝ってか、どこかはしゃいで小走りだった僕は、レジ付近の地面が何故かビチョビチョだったことも気づかず、足を取られたのである。

その場にいた友人いわく、僕の膝はありえない方向に曲がっていたという。そのため、友人達は心配を通り越して、爆笑したほどだ。確かに、果物片手に、足をあらぬ方向に突然まげるという芸当を目の前で見せられたら、驚愕と笑いに包まれてもおかしくはないかもしれない。

ということで、曲げることのできない膝をアイシングしながらあの年は新年を迎えた。



膝はずしは、チュラブックセンターといういわばサイレントな空間でも起こした。

何冊かの本を手にし、そろそろ会計に行こうかという時、ふと下段に気になる本を見つけた。何の本だったかは、まったく思い出せない。

おや?あの本は…と思い、しゃがみかけた途中、手に持っていた本が滑り落ちそうになる。それを阻止しようとして、アララとバランスを崩す。で、次の瞬間には、本は落とすは、膝を抱えてうずくまっているは…。

僕のこの動きの一部始終を見ていた人も、逆に見ていない人も、何がなんだかさっぱり分からないだろう。突然に、本を地面にバラまいて、終いにはうずくまる日本人はあまりに意味不明だし、不気味だ。


タイは異国の地。あまりにトリッキーなことをすると、意味不明な日本人の印象がついてしまうとも限らない。

気をつけよう。





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料理を空中に飛ばしてみよう。

そんな発想、僕にはない。

だから、そんな扱いをうける料理もなかなか考えつかない。



パッと浮かぶのは、ピザ生地。

生地を空中に飛ばしながら、伸ばしていく。

実しやかに語られるのは、空中に飛ばすことで、生地の中の空気の粒をつぶすことなく、均一に生地内に拡げていくらしい。

ふっくらピザを目指して。



あと、飛ぶもの…

ナン。

昔、エアーインディアに乗った時、窓際に座る僕に、CAがナンを投げて渡した。

トリッキー、かつ合理的なCAのサービスに驚かされたものである。



でも、それ以外になかなかない。

タイの空心菜炒めをおいては。



タイ国内で、空心菜炒めを空中に飛ばす屋台の一つとして有名なのは、ピッサヌローク県市内にある。



夜9時過ぎ、宿にチェックインして荷物を下ろすと、僕は急いで車を屋台に走らせた。

時間が時間だけに、営業しているかどうか気になるところだ。

ナンバープレートが紙製の車(そのため検問を受けた経緯はコチラ)のアクセルを強く踏み込んだ。



颯爽と川沿いのナイトマーケットに車を停め、その辺りの人に空心菜炒め舞が行われている屋台の場所を、それとなく聞く。

どうやら場所は近い。

足早に向ってみる。



マーケットの誘惑と戦いつつ、空心菜舞の屋台に到着した。



あまりに閑散。



発射台的なものもあるが、あまりに薄暗い。



終わってしまったのか?と思い、店主らしいおっちゃんに声をかける。



「いや、やっとるで」

おっちゃんに言われる。

「じゃあ、空心菜炒めをよろしく」

「OK」



慣れた手つきでおっちゃんは空心菜炒めを作り始める。



燃え盛る炎。




あれほど閑散としていた屋台には、いつの間にか西洋人が集まってきている。



Oh〜、Oh〜 言ってる。

パフォーマンス性が高い。




空心菜をさっと炒めると、おっちゃんはスタスタと歩き、受け台を背にしてシャッと空心菜を投げた。



躊躇のない投げっぷり。

空を舞う空心菜。



空心菜という文字通り、一瞬そらごころの態を見せる野菜。

夜空には、偽りの心が映し出される。

自分で書いていても意味がよく分からないが、そうだ。

夜空は空心菜にとって、偽りの場であり、そぐわぬ場なのだ。

だからこそ、空心菜は自身の場を求めて飛んで行く。

待ち構える店員のお皿の上にペチャリ、と。

皿の上こそが空心菜の本当の場なのだ。



そらごころ舞うパフォーマンスに、西洋人はoh oh!言う。

さらに、好奇心旺盛な西洋人は空心菜の受けにも挑戦。



ちょっと緊張していたようだが、彼は見事にキャッチした。



それは、当然であろう。

空心菜が求める場は彼の手元の皿なのだから。

空心菜自ら、皿に向うのだ。



だから、もし西洋人が自分でキャッチしたと思っているようなら、まだまだだな。

空心菜の心を感じ取れば、自ずと手元にやってくる、という発想が大事だろう。

キャッチの極意。

それは居心地のいい皿を、夜空舞う空心菜に見せて待つことに他ならないのである。




さて、そんな極意を発見した僕だが、キャッチには挑戦しなかった。

この極意の信憑性を、誰よりも疑っているからに他ならない。




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先日は、ひな祭り。(結構前か?)



まぁ日頃から、男らしさを売りにしている僕は、この祭りに直接の縁がある訳ではない。

それでも、当日はしっかりと、ちらし寿司的なものは頂いたことを今、どことなく懐かしく、そしてはかなげに思い出している。



さて、折口信夫によると、ひな祭りの起源は古い。(「雛祭りの話」「人形の話」)

古代において、ケガレを一身に背負う「形代」という人形のようなものがあったが、それがひな人形の原型ではないか、という。

凶事やケガレを移された紙製の形代は、川へと流される(『源氏物語』須磨の巻や『類聚国史』(892年)『建武年中行事』(1334年))。

当時の人々は、自分の分身としての形代にケガレを移して川に流すことで、自身の身の無事を祈ったのである。



で、通説では、この形代が女子供の遊びの相手となり、そして次第にひな人形へと発展したのではないかとされる。

しかし、この通説に疑問を投げかける折口。

やはり、折口の発想は半端ない。



折口は思う。

果たして、ケガレを背負う形代を、女子供が遊び道具とするだろうか? と。

つまり、そんな恐ろしいものを遊び道具とするのは不自然だ、というわけだ。

何か遊び道具になるためのステップが必要じゃね?と。



ということで、折口が着目したのは、東北に残されている「おしらさま」と言われる神様や、それを使った「おしらあそび」である。

「おしらさま」…

「おひなさま」…

発音はかなり近い。まぁ、訛だろう。



「おしらさま」は、毎年、家のケガレや悪いことを服として重ねられる。つまり、毎年毎年、ケガレとして重ね着をするわけだ。

その姿はちと怖い



で、この「おしらさま」を使った儀礼が、「おしらあそび」。

それはおしらさまを舞わせるものである。






紀州熊野の巫女を起源としたもので、東北ではイタコが「おしらあそび」布教の重要な位置をしめていたようである。

イタコが、「おしらさま」を舞わせ、ことばを語らせる。

折口はこれが、おしらさまを形代から人形へと変える、つまり、女子供の遊具となるための道すじになったと考えたのである。



このように、ケガレを背負ったどこか恐ろしい形代は、イタコらによる「あそび」を経て人形になり、女子供も愉しめる遊具へと移り変わる。

現在のひな祭りの原型が整ったってわけだ。




では、タイではどうだろう。

まず、ひな祭りはない。

でも、ひな祭りの原型ともいえる形代のようなものは…といえばどうだろう。



そもそも、ケガレを川に流すという発想・行為は見受けられる。

たとえば、タイ全国的な祭り、ローイクラトン。

各地の川や沼には灯籠がフワフワと漂い、幻想的な夜が演出される。

灯籠には自身の爪や髪の毛が添えられる。

ケガレや悪しきことを水に流し、自身を清めるのだ。



また、最悪のケガレともいえる死。これを回避するための儀礼では、形代が作られ、川に流されている。

トゥカター・シアクバーン。(シアクバーン人形)がそれだ。

(source: http://variety.teenee.com/foodforbrain/33646.html)



この儀礼を直接目にしたことはないので詳細は分からないが、ネット情報によるとこれは重大な病に陥った患者のために周りの者達が行ってあげるものである。

患者の周りの者達が上の写真のような形代を作り、そして、最終的にその頭部を切るらしい。

(source: http://variety.teenee.com/foodforbrain/33646.html)


その姿は、これまた少し怖い。

で、頭無しの形代は三叉路に置かれたり、あるいは川に流されたりする。

これは、病気をもたらす悪霊に対して、「ほら、あなたが死の世界へ連れ去ろうとする人間はこの通り、頭を失くしてすでに死んでしまいましたよ」と示すのだ。

身代わりをたてることで、病に苦しむ人の生命を延ばそうとするのである。




このように、今僕らが目にするひな祭りは、その歴史性に焦点をあてて考えると、タイでの儀礼とある共通性をもつことがわかる。

いや、むしろ人類共通の発想、行為ともいえるだろう。


つまり…

死をいかにして遠ざけるか。

安寧をいかにして保つか。

人間のそんな祈りを実現するために、形代の人形は静かにたたずむ。

死と真剣に向き合ってきた古代の人々の深い思いが刻み込まれ、今もなお呼吸をしているかのようである。




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ー私たちは自然と共生しながら、ここに広く生い茂る森を大切にしてきた。私たちは”森の民”なのー

BS地球絶景紀行「バルトの大自然ラへマー(エストニア)」で、エストニア人がこんなようなことを口にしていた。







エストニアと言われてスパン!と地図が出てこなかったことはさておき、こんなセリフを聞くと「ああ、自然に敬意を払い、共に生きるというのすばらしいことだな。これからの人類、目指すべき方向性の一つだな」と感じる。

と同時にタイ馬鹿な僕は、「森の民」という言葉から、タイやらラオスのイメージが喚起される。



タイでは、スコータイ王朝にしても、アユタヤ王朝にしても、王都から距離が離れるにつれて、その地域は王の権力の及ばない、辺境の地として扱われた。



また、ラオスでも、平地のラオからすると、山地の森の中に住むラオの地域は、侮蔑対象の人々が住まう地だった。



そんな中心から離れ周縁に位置する彼らは、「森の民」や「山の民」、あるいは「奴隷」などと言われてきた。

要は”周縁の人々”、”未開の人々”を象徴する言葉として、「山の民」といった語が使われたわけである。



でも、番組でエストニアの人が口にした「森の民」には、そんな意味は込められていない。

いや、もしかしたら、かつてはイタリアやフランスの都から遠く離れた辺境の地域として負のレッテルが中心の側からはられていたのかもしれない。

でも、そんな過去のレッテルをまるで逆手に取るように、今エストニア人が自らを語る「森の民」像は前向きだ。

彼らはあくまでも森と共生することに重大な価値をおき、自分たちのアイデンティティとして「森の民」を自称している。



こういった象徴的な言葉を逆手にとるという作業は、現在のタイも実はよく見られる。

たとえば、「イサーン」。

この言葉の響きには、これまでタイ東北部という地域名をこえて、”貧しい”、”未開な”、”野蛮な” などといった負のイメージがつきまとっている。




しかし、近年では「イサーン」、あるいは「イサーン人」という言葉をアイデンティティとし、そこにプラスのイメージを付与していく動きが各地で行われている。

イサーンの自然や伝統・文化、価値観、そして人々の温もり…



これら全ての要素が「イサーン」という語のもつこれまでの負の象徴性に修正を加えていく。

いや、修正というよりは立体化させるといったほうがいいかもしれない。

これまでの負のイメージだけではない、正のイメージも含めて創られる「イサーン」はきわめて奥深い立体的な姿である。

もちろん、これは「森の民」の語だって同様のことは言うまでもない。



言葉の象徴的意味の立体化。

当事者が、対象の新たな価値を発見したり、創造したりして、発信していくことでなりたつ。

それは、コレまでとはまったく違うような、なんだか妙に面白い見方を提供するような、そんな魅力的な行為に思えてならない。


  (チェンライ・ドイトゥンの山にて)




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イサーンの村の”先生”と、至極の時間。
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イサーンの村の小さな先生。



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タイ・イサーンの村で行われるお祭りやら儀礼を見ると、基本的に男性が主体となって運営されていることが多い。村の選ばれし男性陣は、祭りの日取りを取り決め、その執行にむけて綿密に相談しあい、そして当日、主な任務にあたる。

では、いっぽうの女性陣はといえばどうだろう。

女性陣は、当日使われる道具を作ったり、食事の用意をしたりといった、いわば祭りの裏方にまわることが多い。あくまでも補佐役という性格が強いのだ。



とはいえイサーンには、女性だけで行われる儀礼・祭礼もある。

そしてそれらは、なんともいえない不思議な空間であることが多い。まるで、人間の核にあるリアルな何かがモロに僕の目の前に現れて、渦巻いている。そんな不思議な感覚を覚えるような儀礼である。



では、そうした奇妙な感覚へと導く源泉はなんであろうか。

そして、そうした儀礼をどのような視点で見つめ、どういった意義を感じ取ればいいのだろうか。

そのへんに対する僕の思いを今日はメモしておきたい。(超!久しぶりの更新だが…笑)



イサーンにおける女性だけの儀礼というと、たとえばモーラムピーファーがある。

村で病気になった人を平癒させるべく行われるこの儀礼では、世襲によって儀礼を担う女性達が、一晩かけて舞い踊る。




 ケーンという笙の楽器の音色にあわせて踊る女性たち。

体を激しくゆさぶり、腕をグルグルまわす女性のなかには、時間が経つにつれて、トランス状態に陥る者が現れる。





彼女の意識はしだいに遠のき、いつしか別人格が体に入り込む。

霊に憑依されるのだ。

別人格は、村人の病気の原因を語ったり、あるいは家庭問題、村の問題なんかを口にしてみたりする。

彼女が発する言葉は、人々にとって”事実”として受け入れられる。



このように霊との交流に長け、自身の箱の中にその霊を一時的に取り入れてしまうような憑依は、女性に起こることが多い。

これはどうやら世界でひろく見られることで、日本でもイタコや沖縄のノロなんかがあろう。

では、なぜ憑依現象は女性に多いのだろうか。



かつて中沢新一氏が、女性の峰入り修行を受け入れるお寺に修行に入った際、憑依した女性同士の霊能合戦に遭遇している。

そのとき修験者は、「女性の修行者を寺で受け入れるとこうなるから困る」的なことを述べたという。

中沢氏によると、男性を主体とした祭りや儀礼は、一見不合理なようにみえるものでも、実はその内部は合理的であったり、理性的であったりするらしい。

ところが、それに比べて女性たちは、自身のもつ霊能の力をストレートに、自然のままに表現する宗教へと進むことが多いのだという。(中沢新一『哲学の東北 』)

修験者は長年の経験でそれを知っていたのである。

つまり、女性には憑依を受け入れやすい、いわば聖的な部分が特性として備わっているのだ。

僕が女性だけの儀礼を見つめるとき、一種異様な雰囲気を感じとるのは、こうした女性の聖性が霊との交流の場面においてモロに出現しているからであろう。

儀礼を眺めているとき僕は、女性だけが潜り込める、男性にはとうてい到達しえないような深海の、その入り口がやっと遠く先に見えるような場所に遭遇しているのかもしれない。



ところで、女性の聖性というのは、実は歴史的に考えると次第に衰弱していくものらしい。(網野善彦『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 』)

いや、正確には衰弱させられていくというべきか。



たとえば日本もかつては女性の聖性が際立っていた。

巫の多くは女性であったり、市や橋の祭神が女性神であったり、幽霊は女性が多かったり、民間の新興宗教の教祖は女性が多かったり…といった具合である。

しかし、そうした女性の聖的特質は、時代を経るにつれて衰弱していく。

それは、権力の介入による。女性のもつ聖性を閉じ込め、男性を主体とした権力構造が優位になっていくのだ。


この女性の聖性の衰弱は、日本だけでなく世界ひろく見られる事象であり、男性主流の儀礼・祭礼が主になってきている事情を鑑みても、タイもまた例外ではないだろう。

だが幸いにして、タイのイサーンにはまだモーラム・ピーファーをはじめとした、女性が主役を演じる儀礼がまだ残っている。

そこには、政治権力とは次元の違う、得体の知れないようなパワーが渦巻いている。

女性的聖性によって、現在の世俗の力関係と全くの別次元な論理で成り立つ場になっている。



じゃあ、これに目を向ける意義ってなんであろうか。

僕は世界を多面的に見る眼差しを豊かにするためにあると思う。



世界はこれまで、いわゆる近代化を最良として、自然を犠牲にしつつ、突き進んできた。

そこで生みだされた種々の恩恵を僕は多いに受けてはいるが、しかし、今後はこれまで犠牲になってきた自然にも大いなる敬意を払わねばならない段階に入っていると、切に思う。

ー自然に敬意を払うー

そのためには新しい価値観と姿勢が必要になる。

これまでとは全く別次元の角度から世界を構築する感覚が必要になる。



それを学ぶに、イサーンの女性だけの儀礼は意義深い。

目に見えない世界のものや、存在の次元を自由に行き来してしまうような女性の聖性を基礎とした、世俗とは全く別次元の価値に重きをおく儀礼。

世界、宇宙は重層的な構造で、いわば立体的になりたっているという認識のうえで、この「イサーン、女の世界」をみつめれば、今後の新しい世界観構築のために大きな意義をもつと、そう思うのである。







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” 9 ”

タイの人びとからなんとも人気の高い数字である。おそらく1番人気と言っても過言じゃないだろう。

それは、タイ国民のだれもが父と慕う現在のプミポン国王が、ラーマ9世という点が大きな要因である。

9世王はすばらしい。ならば9はいい。

タイ人は、偉大な王にまつわる数字を好むのである。

だから他にも、偉大な王様として名高いチュラロンコーン大王がラーマ5世王だったことにもあやかって、5の数字なんかも人気があるのだ。



して、僕は子供の頃より5の大ファンだ。何をするにも5が基本。まったく意味が分からないが、そうなのだ。

でも、タイと深く関わるようになってからは、9も推し気味である。9も悪くないな、と思っている。いや、むしろ好きになりはじめている自分がいる。



ただし、それはタイ人と同じ理由によるわけではない。

もちろん、プミポン国王の人徳は圧巻だし、尊敬の念は抱いている。

でも、それを理由として、9への思いが募っているわけではない。

単純に、タイ文字の9が好きなのだ。なんとも美しいのだ。



僕の友人で竹工家の男は、タイ文字の9をこう評した。

”対照的にアツく躍動する、美しいタイ文字”、と。

(彼がTwitter上で企画した年末カウントダウンの時にである。彼の年末カウントダウン企画はコチラ



そう。

タイ文字の9はなんとも躍動感あふれるのだ。

なんとも芸術的で美しいのだ。

ということで、これが9である。



どうです!

一筆書きの美しさよ。




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いやはや。なんともブログ更新が滞ってしまった。こんなに放置してしまったのは、ブログを開始して初。

今年こそはほぼ毎日書くぞ!と意気込んだのに、全く実行される気配もなく、早くも12月も中旬。

いやはや、困ったもんです。


さて、12月ということでバンコクの街はすっかりクリスマスムードの高揚。



たくさんの人たちが、大きな買い物袋をぶら下げて、ツリーを眺める。



「お父さん、綺麗だね」

「ああ。綺麗だなぁ」

女の子と父親がボーとツリーを眺めている。


「ツリーと一緒に写真撮ってよ」

「ああ、いいぞ」

小さな女の子は繋いでいた父親の手を離して、ツリーの下に駆けていった。



クリスマスツリーを前にしては、まぁ普通の光景。

なんとも幸せそう。

でも、最近少し過ごしやすくなっているとはいえども、一応は夏の気温。

僕は汗をぬぐった。



真夏のクリスマスツリー。

教会で賛美歌…なんてムードではない。

でも、それはそれで、悪くはない。




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