「この水で病気が治るんだ!」ウワサの沼へ集まる人びと。


”あそこの沼の水を飲めば、病気が治っちゃうらしいぞ”

そんな噂がタイ北部で発生しているらしい。(カオソッド紙23日付


                           (Source:http://tnews.teenee.com/etc/79204.html)



病気が治ると噂される水は、タイ北部プレー県のパーメット区の沼のもの。

高熱で苦しんでいた者や、骨の異常で歩けなかった者、肌が悪かった者などが、沼の水を飲んだところケロリと治ったらしい。

で、そんな噂が拡がって、今では写真のように容器を持った人びとが沼に訪れているのだ。



僕からすれば、どう考えても飲むに適していないように見える水だが、現地に訪れる人びとにとっては関係ない。



”水に不思議な力が宿っている”



そう信じてやまないのである。





タイの人びとは呪術的なものや、聖なるものを今も深く信仰している。

中でも水は、極めて重要な役割を担うものの一つである。(まぁ、世界共通かな?)



タイの儀礼や祭りで、それを如実に感じる。

たとえば僧侶による聖水儀礼では文字通り聖水と化した水をシャンシャン振りかけられるし(僧侶によってはビチョビチョになる位振りかける…)、先祖への徳の転送の際にも水が使用される。

先日のソンクラーン(タイ正月:水掛け祭り)も、水がモロ主役だ。

また、王の即位式では、新たな王を聖化させるために聖水潅注は必須となる。

民衆から王のレベルまで、水のもつ役割は深く浸透しているのである。



要するに水は”悪いもの”を流したり、あるいは”聖なるもの”に変化させたりできる存在。

だから今回、どう見ても汚い沼の水ですら地元住民が神聖視するのも、彼らのその理屈に従えば不思議でもなんでもない。

聖なる水を体の中に取り込んだり、あるいは浴びたりすることで、悪いもの=病気を洗い流す。

これが伝統的な知識として彼らの根本にある以上、彼らの行動は合理性をもっているのだ。



彼らのとる行動を西洋的な価値観で考えてしまうと、「なんだかわけの分からない汚い水を飲むことで病気が治るという妄信に従った未開人の行動」みたいなニュアンスになってしまうだろう。

だが、彼らには彼らの論理が当然ながら存在しているってことなのである。




今回のケースについて地元紙は、水を飲んで病気が治るというのは信憑性が薄く、むしろ衛生上の観点から控えるべきだとまとめている。

だが、聖なる水として人びとに認知された以上、そうした科学的な根拠はあまり意味をなさない。(まったく別物だからね)



というか、実は記事を書いた記者もどことなく沼の水を神聖視する部分を持ち合わせているんじゃないかなぁ?

たぶん記者も、現地に行ったら一応水を口に含んじゃうような、そんな気がする。

「聖なる水に対して、科学的根拠に基づく否定は野暮だろ!」とか言って爆笑しながら友人と水を掛け合う記者の姿が目に浮かぶようだ。



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