先日、猿と遺跡、そしてひまわりで有名な町ロッブリーに入った。



今月いっぱいは、勤務先である大学敷地内のホテルに宿泊するようにと先方から言われていたが、ホテルが改装中となり突然に宿泊先を失った。

僕としては、別にタイで宿を探すことに対して抵抗がないので、放っておいてもらっても構わなかったが、先方としてはそうはいかないだろう。

ということで急遽、取られた苦肉の策が、とある大学生を今月いっぱいだけ部屋から追い出して、その部屋に僕が泊まるというものだから、驚きである。

しかも、それが女子大生の部屋だというから、さらに驚きだ。



会ったこともない女子大生の部屋で、ボーと部屋の天井を眺める。




女子大生からみれば完全におっさんであろう30半ばの日本人。

そんなおっさん(見ず知らず)が部屋でゴロ〜ンとしている。

こんな姿を女子大生が見たときの、彼女の気持ちを想う。

なんとも痛たまれない。

僕が逆の立場なら…。うん。絶対に嫌である。




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30年ほど前に、実家で使われていたカメラ、KONICA C35 E&L。



子供の頃はなんとも思わなかったカメラ。いやどちらかと言えば、「古くさい」みたいな印象だったのかもしれない。どうも、はっきり覚えていない。

ただ30年前くらいに、親父がこのカメラを持ってアメリカに行ったことは妙に覚えている。ハンチング帽をかぶりカメラを小脇に抱えた若かりし日の親父を見ると半笑いになるが、ただ顔が僕にそっくりすぎてひく。


このカメラ。久々にマジマジと見ると、そのフォルムに惹き付けられる。手に取ってみれば、ずしりと重く、鉄の触り心地もいい。

これからは、タイの写真を撮るにあたって、デジカメと併用しながら、フィルム写真でも撮ってみようか、なんて思う。



 タイでは色々な人に出会う。

そんな時、何枚でも撮影ができ、いくらでも撮り直しがきくデジカメは、もちろん便利。タイの人から聞く貴重なお話だって、iPhoneさえあればすぐに録音できて、ネットにもアップできる。これまたなんとも便利。

でも、一期一会の出会いの中で、その人の顔や姿をおさめる時くらいは、便利さ抜きの方がいい気がしてきた。突然に。



村々を廻る中で出会う人たち、話してくれる人たち、彼らとはまさに一期一会。次いつ会うか、いや、もっといえばもう会うこともないかもしれない。(実際にそうなりつつある人も多々だ)

だから、彼らを写真に収める時くらい、撮り直しのきかないフィルムカメラで、緊張感をもって対置し、シャッターを切るほうがいいのではないか。

今更ながら、そんなことに気づいてしまったのだ。しつこいようだが、突然に。



写真が出来上がり、彼らの表情を眺める。彼らとの会話や仕草が思い出される。その時感じた空気がフワリっと匂いそう。なんともいいじゃないか。

若曽根家伝統の歴史的カメラ(というほど古くなく、全然高価なカメラではないが)がその瞬間を刻んでいるのだ。なんだか、素敵じゃないか。


気分はすっかり、ブラジルを調査したレヴィ=ストロースである。

(レヴィ=ストロース『ブラジルへの郷愁』)

見ているだけで物語を感じるような、こんな写真を撮ってみたいもんだ。



とはいえ、問題もある。

それは、20年以上使われていなかったカメラは果たして壊れていないのかということ、そして何より、そもそもフィルムカメラってどうやって使うのだろうかということ。

この問題はそれなりに大きいが、とりあえずカメラを構えてみた。



何事も形からだ。





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「なんか面白いんだよなぁ」

『ブラタモリ』を見るたびに思ってきた。

で、番組のなんだか分からない面白さ・魅力をうまいこと言葉化して圧巻だったのが、『ブラタモリ』のプロデューサー尾関憲一さんが語った『ミラクルライン』だ。




一般的な感覚と、マニアックとも言い換えられるコアな感性。この2つの世界を分けるぎりぎりの線が『ミラクルライン』。

マニアックすぎたら一般受けしないからダメ。

でも逆に、ニュートラルすぎたらマニアの人がおもしろがらないからダメ。

ということで、一般の人にとってなんだか分からない部分もあるけど、全体としては分かるし、面白い。

そんなバランスを創りだすのが、『ミラクルライン』ってわけだ。



タイの専門家と、一般の人が互いに重なりあう”微妙なちょっとした部分”をどれくらい見つけ出し、話に盛り込んで、見せるか。表現するか。

なんか分からないけど、タイって面白そうだなって少しでも感じてもらいたい。

色々なタイを伝えて日ータイの文化交流の促進に少しでも役立てば、と思っている僕にとっては、なんとも重要なファクター=『ミラクルライン』。

いい言葉だ。






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いやはや最近は、タイ関連のブログやFacebook上で、タイ正月ソンクラーンの話題が多かった。


でも、最近タイでよく聞くのは「近頃じゃ、すっかり若い連中の単なる水掛け祭りに変わってしまった」なんてというような論調。要は祭り本来の目的が失われて、ばか騒ぎをして遊ぶことがメインになってきたってことだろう。昔はもっと厳粛な正月だったのに…みたいな。


でも、そういう過去を美化するような論調は本当に正しいのか?



確かに、ソンクラーンは本来、タイ正月の日に仏像や仏塔、および家族の年長者の手に水をかけて清める儀礼だ。






でも、乱痴気騒ぎ的な水遊びも、それと共に行われてきた。

タイの柳田国男といえるアヌマン・ラーチャトンは、50年以上昔のソンクラーンの儀礼と、水遊びの”壮絶さ”を書き残している。(アヌマンは18世紀後半のソンクラーンに関する文献にもふれたりしてる)

彼によると、ソンクラーンの時は青年達と娘達のグループに分かれて、そりゃあ激しい水掛け合戦が行われたようだ。

この日ばかりは、日々の抑圧から解放された喜びなのか、娘達は張り切って遊んだという。

たとえば運悪く女性グループに捕まった青年なんか、体の自由を奪われて、顔に泥を塗られて罵られ、服もズタズタに切り裂かれるなんてこともあったそうだ。

しまいには、とてもアヌマン自身も本では記せないような行為も行われた、と娘の口から証言されているというから驚きだ。いったいどんなことがあったのか。まあ、性的な内容なんだろう。



なぜなら遊びと性が密接に関わる無礼講はよくみられることだ。

たとえばかつて、インドネシアフローレス島でも一年に一回、野山で青年と娘が水を掛け合う対決をする。そこでは歌がうたわれ、フリーセックスも許されたらしい。(オランダの占領によって廃止させられた)


また、水遊びこそしないが、男女分かれて性が解放される遊びがあったのは日本も一緒だ。「歌垣」である。この風俗については、『万葉集』なんかに出てくるが、これによると、筑波山の麓で年に一回、男女が掛け合い歌をうたう。で、「野遊び」という遊びが行われ、これまたフリーセックスだったらしい。

いつの間にか話題がエロスの方にいってしまい恐縮だが、要は遊びというのは人類普遍の営みで、そこには根本的に乱痴気騒ぎが存在し、時代や地域によっては性も解放されていたっていうわけだ。



だから、今のソンクラーン。





そりゃあ、眉をしかめるような騒ぎっぷりを、異国人も交えて展開してるかもしれない。

でも、ず〜っと昔の人から見たら、「確かに酒飲んでばか騒ぎして遊んでいるが、セックスのオープン性に関してはずいぶんと鳴りを潜めちまったな〜」なんて言うのかもしれない。

(うん?実は今もオープンに展開中?でも、ま、時代的には、とりあえずはおとなしくしておかないと、ソンクラーンに乗じて女性の胸を触りカオサン通りに晒された青年↓みたいになったり、中国タイ族の今年の水掛け祭りで発生したような事件になっちゃうしね)




要は祭りの中の遊び的乱痴気騒ぎというのは、”ここまではやってもいいライン”が時代や地域によって違うけど、根本的な部分は一緒。だから、昔は良くて今はどうも…、みたいな論調はあまり意味がないというか、幻想のようなもんなわけだ。


遠い未来、たとえば何らかの技術で言葉も話せるようになった動物が共に水遊びに興じたとしたら、こんなソンクラーンが展開されるのかもしれない。



そして言う。

「昔はあくまでも人間だけで騒いでた祭りだったのに、今じゃ、ワケの分からんクマがたくさんいてめちゃくちゃだよ。昔は良かった…」って。



うん…。自分でも恐ろしいほど、なんともよく分からない終わり方をしてしまった。

それほどまでに、Tedの写真を埋め込めるアプリを使ってみたかったのだ。




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突然だが僕は、膝を脱臼することがある。先日も、日本の花見に調子にのり酔った僕は、友人達とフリスビーに興じ、膝を盛大にはずしてしまった。




                          (小学校の同級生撮影)


フリスビーの横で膝を抱えてうずくまる僕と、それを心配そうに見つめる竹工家の友人。そんな僕らを、冷静なもう一人の友人は、特に心配する様子無く、こうして写真におさめてくれていた。

痛みの山場を越えて、ふと冷静な友人の方をみると、彼はクイッとワインを呑んでいた。彼は小学校一年の頃から、そんなスタンス。決してぶれていない。そして、彼もタイが大好きだ。



話がそれてしまった。僕のはずれ膝に戻そう。

付き合いはじめは、高校の卒業式を間近に控えた体育の時間だ。サッカーのプレー中、一人ボレー的なことを試みて、一人空中でバランスをくずし、一人体と足のバランスが無茶な方向で着地。思わぬ激痛で膝を見れば、見慣れた膝が二倍の大きさに拡大されていた。骨が完全に外れ、ズレたのだ。

焦った僕はガキリ!っとその場で膝を入れ、しばらく痛みにうずくまっていた。でも、なぜか笑っていたように思う。試合とは全く関係のないところで、一人のたうち回っている自分に、どこか切なさを感じた、そんな笑いだったのかもしれない。

そして、その後一ヶ月ほど、松葉杖生活を送った。

卒業アルバムを開けば、松葉杖を小脇に抱えて笑う、若き日の自分が写っている。



タイでもはずしている。

とある年、大晦日。

友人らとの新年パーティーに備えた鍋の食材を、大型スーパービッグCのレジで打ってもらっていた。すると、果物にバーコードがなかったため、レジ打の途中だが、僕は急ぎ売り場まで行ってバーコードを貼ってもらった。

その帰路、レジまであとわずかというところで、突然に僕は膝をぐにゃりと曲げる。大晦日ということのワクワク感も手伝ってか、どこかはしゃいで小走りだった僕は、レジ付近の地面が何故かビチョビチョだったことも気づかず、足を取られたのである。

その場にいた友人いわく、僕の膝はありえない方向に曲がっていたという。そのため、友人達は心配を通り越して、爆笑したほどだ。確かに、果物片手に、足をあらぬ方向に突然まげるという芸当を目の前で見せられたら、驚愕と笑いに包まれてもおかしくはないかもしれない。

ということで、曲げることのできない膝をアイシングしながらあの年は新年を迎えた。



膝はずしは、チュラブックセンターといういわばサイレントな空間でも起こした。

何冊かの本を手にし、そろそろ会計に行こうかという時、ふと下段に気になる本を見つけた。何の本だったかは、まったく思い出せない。

おや?あの本は…と思い、しゃがみかけた途中、手に持っていた本が滑り落ちそうになる。それを阻止しようとして、アララとバランスを崩す。で、次の瞬間には、本は落とすは、膝を抱えてうずくまっているは…。

僕のこの動きの一部始終を見ていた人も、逆に見ていない人も、何がなんだかさっぱり分からないだろう。突然に、本を地面にバラまいて、終いにはうずくまる日本人はあまりに意味不明だし、不気味だ。


タイは異国の地。あまりにトリッキーなことをすると、意味不明な日本人の印象がついてしまうとも限らない。

気をつけよう。





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料理を空中に飛ばしてみよう。

そんな発想、僕にはない。

だから、そんな扱いをうける料理もなかなか考えつかない。



パッと浮かぶのは、ピザ生地。

生地を空中に飛ばしながら、伸ばしていく。

実しやかに語られるのは、空中に飛ばすことで、生地の中の空気の粒をつぶすことなく、均一に生地内に拡げていくらしい。

ふっくらピザを目指して。



あと、飛ぶもの…

ナン。

昔、エアーインディアに乗った時、窓際に座る僕に、CAがナンを投げて渡した。

トリッキー、かつ合理的なCAのサービスに驚かされたものである。



でも、それ以外になかなかない。

タイの空心菜炒めをおいては。



タイ国内で、空心菜炒めを空中に飛ばす屋台の一つとして有名なのは、ピッサヌローク県市内にある。



夜9時過ぎ、宿にチェックインして荷物を下ろすと、僕は急いで車を屋台に走らせた。

時間が時間だけに、営業しているかどうか気になるところだ。

ナンバープレートが紙製の車(そのため検問を受けた経緯はコチラ)のアクセルを強く踏み込んだ。



颯爽と川沿いのナイトマーケットに車を停め、その辺りの人に空心菜炒め舞が行われている屋台の場所を、それとなく聞く。

どうやら場所は近い。

足早に向ってみる。



マーケットの誘惑と戦いつつ、空心菜舞の屋台に到着した。



あまりに閑散。



発射台的なものもあるが、あまりに薄暗い。



終わってしまったのか?と思い、店主らしいおっちゃんに声をかける。



「いや、やっとるで」

おっちゃんに言われる。

「じゃあ、空心菜炒めをよろしく」

「OK」



慣れた手つきでおっちゃんは空心菜炒めを作り始める。



燃え盛る炎。




あれほど閑散としていた屋台には、いつの間にか西洋人が集まってきている。



Oh〜、Oh〜 言ってる。

パフォーマンス性が高い。




空心菜をさっと炒めると、おっちゃんはスタスタと歩き、受け台を背にしてシャッと空心菜を投げた。



躊躇のない投げっぷり。

空を舞う空心菜。



空心菜という文字通り、一瞬そらごころの態を見せる野菜。

夜空には、偽りの心が映し出される。

自分で書いていても意味がよく分からないが、そうだ。

夜空は空心菜にとって、偽りの場であり、そぐわぬ場なのだ。

だからこそ、空心菜は自身の場を求めて飛んで行く。

待ち構える店員のお皿の上にペチャリ、と。

皿の上こそが空心菜の本当の場なのだ。



そらごころ舞うパフォーマンスに、西洋人はoh oh!言う。

さらに、好奇心旺盛な西洋人は空心菜の受けにも挑戦。



ちょっと緊張していたようだが、彼は見事にキャッチした。



それは、当然であろう。

空心菜が求める場は彼の手元の皿なのだから。

空心菜自ら、皿に向うのだ。



だから、もし西洋人が自分でキャッチしたと思っているようなら、まだまだだな。

空心菜の心を感じ取れば、自ずと手元にやってくる、という発想が大事だろう。

キャッチの極意。

それは居心地のいい皿を、夜空舞う空心菜に見せて待つことに他ならないのである。




さて、そんな極意を発見した僕だが、キャッチには挑戦しなかった。

この極意の信憑性を、誰よりも疑っているからに他ならない。




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先日は、ひな祭り。(結構前か?)



まぁ日頃から、男らしさを売りにしている僕は、この祭りに直接の縁がある訳ではない。

それでも、当日はしっかりと、ちらし寿司的なものは頂いたことを今、どことなく懐かしく、そしてはかなげに思い出している。



さて、折口信夫によると、ひな祭りの起源は古い。(「雛祭りの話」「人形の話」)

古代において、ケガレを一身に背負う「形代」という人形のようなものがあったが、それがひな人形の原型ではないか、という。

凶事やケガレを移された紙製の形代は、川へと流される(『源氏物語』須磨の巻や『類聚国史』(892年)『建武年中行事』(1334年))。

当時の人々は、自分の分身としての形代にケガレを移して川に流すことで、自身の身の無事を祈ったのである。



で、通説では、この形代が女子供の遊びの相手となり、そして次第にひな人形へと発展したのではないかとされる。

しかし、この通説に疑問を投げかける折口。

やはり、折口の発想は半端ない。



折口は思う。

果たして、ケガレを背負う形代を、女子供が遊び道具とするだろうか? と。

つまり、そんな恐ろしいものを遊び道具とするのは不自然だ、というわけだ。

何か遊び道具になるためのステップが必要じゃね?と。



ということで、折口が着目したのは、東北に残されている「おしらさま」と言われる神様や、それを使った「おしらあそび」である。

「おしらさま」…

「おひなさま」…

発音はかなり近い。まぁ、訛だろう。



「おしらさま」は、毎年、家のケガレや悪いことを服として重ねられる。つまり、毎年毎年、ケガレとして重ね着をするわけだ。

その姿はちと怖い



で、この「おしらさま」を使った儀礼が、「おしらあそび」。

それはおしらさまを舞わせるものである。






紀州熊野の巫女を起源としたもので、東北ではイタコが「おしらあそび」布教の重要な位置をしめていたようである。

イタコが、「おしらさま」を舞わせ、ことばを語らせる。

折口はこれが、おしらさまを形代から人形へと変える、つまり、女子供の遊具となるための道すじになったと考えたのである。



このように、ケガレを背負ったどこか恐ろしい形代は、イタコらによる「あそび」を経て人形になり、女子供も愉しめる遊具へと移り変わる。

現在のひな祭りの原型が整ったってわけだ。




では、タイではどうだろう。

まず、ひな祭りはない。

でも、ひな祭りの原型ともいえる形代のようなものは…といえばどうだろう。



そもそも、ケガレを川に流すという発想・行為は見受けられる。

たとえば、タイ全国的な祭り、ローイクラトン。

各地の川や沼には灯籠がフワフワと漂い、幻想的な夜が演出される。

灯籠には自身の爪や髪の毛が添えられる。

ケガレや悪しきことを水に流し、自身を清めるのだ。



また、最悪のケガレともいえる死。これを回避するための儀礼では、形代が作られ、川に流されている。

トゥカター・シアクバーン。(シアクバーン人形)がそれだ。

(source: http://variety.teenee.com/foodforbrain/33646.html)



この儀礼を直接目にしたことはないので詳細は分からないが、ネット情報によるとこれは重大な病に陥った患者のために周りの者達が行ってあげるものである。

患者の周りの者達が上の写真のような形代を作り、そして、最終的にその頭部を切るらしい。

(source: http://variety.teenee.com/foodforbrain/33646.html)


その姿は、これまた少し怖い。

で、頭無しの形代は三叉路に置かれたり、あるいは川に流されたりする。

これは、病気をもたらす悪霊に対して、「ほら、あなたが死の世界へ連れ去ろうとする人間はこの通り、頭を失くしてすでに死んでしまいましたよ」と示すのだ。

身代わりをたてることで、病に苦しむ人の生命を延ばそうとするのである。




このように、今僕らが目にするひな祭りは、その歴史性に焦点をあてて考えると、タイでの儀礼とある共通性をもつことがわかる。

いや、むしろ人類共通の発想、行為ともいえるだろう。


つまり…

死をいかにして遠ざけるか。

安寧をいかにして保つか。

人間のそんな祈りを実現するために、形代の人形は静かにたたずむ。

死と真剣に向き合ってきた古代の人々の深い思いが刻み込まれ、今もなお呼吸をしているかのようである。




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