新しい時代に突入した感が強い。去年AIを触った時にはさほど実感がわかなかったが、今やその進歩は目まぐるしい。この「相棒」は僕にとって、必要不可欠な存在になりつつある。巨大な変化に対して、目を背けるのか、乗っかってみるのか。この態度の差が人の生き方に大きな影響を与えることは、歴史的にも明らかだ。そして今、僕はその歴史的場面に遭遇しているようである。現在、僕は大学で日本文化を主に「教える」立場にある。しかし、この役割は大きな変更を迫られるだろう。AIの前では、日本語や日本文化の知識だけでは優位性を保つことが難しくなるからだ。最近、事務作業をAIに手伝ってもらっているが、タイ語でも英語でもミスはない。言語の壁は日々崩されつつある。同時通訳や翻訳も、近い将来完璧に近くなるだろう。もちろん、言葉は文化の一部であり、文化を包括的に理解しないと言葉の深い意味を捉えることは難しい。その点で言えば、文化を教える役割にはまだ猶予があるかもしれないが、いずれAIがこれも包括する可能性は高い。では、どうすればいいのか。これまでのような一方的に教える役割は後退し、むしろAIの巨大な知識を前に、学習者との関係性の中で新たな役割を見出す必要がありそうだ。場の雰囲気を作り、AIへの質問内容や答えに対する「つっこみ」的な役割が求められるかもしれない。AIを迎えた新時代、次のような力が重要になるだろう。 1、AIの答えを基礎として新たな発想を生み出す力 2、急速に変化する技術や環境に対応し、常に学ぶ力 3、AIとの協働に関する倫理的問題の認識と、対処する力 4、人間同士、そしてAIとの効果的な対話をするコミュニケーションの力 5、新しい可能性を追求し、未知の領域に挑戦する好奇心と突破する力この力を高めていこうと周りを盛り上げていくことが、「学校」という場での「教師」と言われる人間の、ひとつの役割になるかもしれない。そのためには、「学生」から「この人と一緒に考えたい」とか「一緒に何かをしたい」と思われるようにならないといけないだろう。だって、質問とかを投げ掛けたかったらAIにした方が楽だし、答えも早いから。それでもそのAIではなく、あくまでもこの「人」に聞きたい。そう思われるような人間にならないといけない。そう、要は人柄だ。「教師」という存在は、単なる知識の伝達者ではなく、共に学び、成長し、挑戦、喜びあう存在として認められる人柄が求められる。皆で、「やったー。お疲れ様ー」って、何かを達成して喜びあう場を作ることのできる人柄が求められる。そして、その人柄はAIからも認められないといけないだろう。だって、AIとの協働においても、人間ならではの創造性や洞察力、倫理観が重要だから。AIの新時代においてこそ、より深いコミュニケーションを通じて、人間同士、そして人間とAIとの間の有意義な関係性が築かれる。そして、今の段階で僕は、人類学が培ってきたような現場で生の声を聞いて、生の体験をするフィールドワークが今後の教育の場におけるひとつの有効な方法論になるのではないかと思っている。フィールドワークを通じて得られるダイレクトな人間関係と理解しあう姿勢は、AIには真似できない洞察を生み出す可能性を大いに含んでいる。そして、それがAIの分析と組み合わさることで、より深い文化理解や社会問題の解決につながるかもしれない。AIの新時代、フィールドワークが切り開く未来の可能性を僕は思う。とはいえ、こうした考えに基づく教育の場での実践も、一時的な対応に過ぎないかもしれない。正直なところ、確固たる答えはまだ見えない。それでも、AIと人間が協働して作り出す未来、AIの分析力と人間の創造力を掛け合わせる未来。AI ...
6月 28, 2024
40を超えてからの友人
Posted by Ryota Wakasone |
40を超えてからできた友達。僕とほぼ同い年の彼は、かつてチェンマイに10年以上住み、高校で英語を教えていた。僕も英語が少しでも話せるようになりたかったから、彼に連絡をとった。「個人授業はしてないけど、ディスカッションをするということであればいいよ」とOKしてくれた。あれは2019年のことだったと思う。初対面から、妙に馬があった。毎週スターバックスで、ユヴァル・ノア・ハラリのSapiens: A Brief History of Humankindについて、章ごとにディスカッションした。英語が拙い僕の声にもしっかりと耳を傾けて、わかりやすい英語で話してくれた。ディスカッション以外にもお酒を飲んだり、どこかに行ったりと、まあよく遊んだ。2020年に彼は日本で働くことが決まったが、コロナで足止め。どう動くこともできない大変な時期を経て、2022年にようやく日本に行くことができた。ということで、僕は日本に一時帰国する時は、彼に会っている。先月は一緒に東京都写真美術館にいった。作品を眺め、お互いの視点で話す。美術館を出てから、ぶらぶらと歩いた。かつてチェンマイで一緒にいた彼と、こうして恵比寿を歩くのは不思議な気分だ。その後、彼の同僚のお勧めという店で、一杯やった。確かに妙にアメリカン。同僚が勧めるのもわかる。そして、アメリカンな彼はやはり似合う。いい夜だった。チェンマイに戻った今、彼とzoomを使ってのディスカッションを再開した。ーThe ...