一期一会なタイの人々との出会い。フィルム写真の緊張感。



30年ほど前に、実家で使われていたカメラ、KONICA C35 E&L。



子供の頃はなんとも思わなかったカメラ。いやどちらかと言えば、「古くさい」みたいな印象だったのかもしれない。どうも、はっきり覚えていない。

ただ30年前くらいに、親父がこのカメラを持ってアメリカに行ったことは妙に覚えている。ハンチング帽をかぶりカメラを小脇に抱えた若かりし日の親父を見ると半笑いになるが、ただ顔が僕にそっくりすぎてひく。


このカメラ。久々にマジマジと見ると、そのフォルムに惹き付けられる。手に取ってみれば、ずしりと重く、鉄の触り心地もいい。

これからは、タイの写真を撮るにあたって、デジカメと併用しながら、フィルム写真でも撮ってみようか、なんて思う。



 タイでは色々な人に出会う。

そんな時、何枚でも撮影ができ、いくらでも撮り直しがきくデジカメは、もちろん便利。タイの人から聞く貴重なお話だって、iPhoneさえあればすぐに録音できて、ネットにもアップできる。これまたなんとも便利。

でも、一期一会の出会いの中で、その人の顔や姿をおさめる時くらいは、便利さ抜きの方がいい気がしてきた。突然に。



村々を廻る中で出会う人たち、話してくれる人たち、彼らとはまさに一期一会。次いつ会うか、いや、もっといえばもう会うこともないかもしれない。(実際にそうなりつつある人も多々だ)

だから、彼らを写真に収める時くらい、撮り直しのきかないフィルムカメラで、緊張感をもって対置し、シャッターを切るほうがいいのではないか。

今更ながら、そんなことに気づいてしまったのだ。しつこいようだが、突然に。



写真が出来上がり、彼らの表情を眺める。彼らとの会話や仕草が思い出される。その時感じた空気がフワリっと匂いそう。なんともいいじゃないか。

若曽根家伝統の歴史的カメラ(というほど古くなく、全然高価なカメラではないが)がその瞬間を刻んでいるのだ。なんだか、素敵じゃないか。


気分はすっかり、ブラジルを調査したレヴィ=ストロースである。

(レヴィ=ストロース『ブラジルへの郷愁』)

見ているだけで物語を感じるような、こんな写真を撮ってみたいもんだ。



とはいえ、問題もある。

それは、20年以上使われていなかったカメラは果たして壊れていないのかということ、そして何より、そもそもフィルムカメラってどうやって使うのだろうかということ。

この問題はそれなりに大きいが、とりあえずカメラを構えてみた。



何事も形からだ。





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2 件のコメント:

  1. 昔のカメラも味があっていいものですねぇ~。
    同じものを撮っても、撮る人の気持ちがより入りそうな気がします。
    たまにはアナログもいいかもですね!

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  2. phimaiさん
    アナログはいいかも、ですよね〜。
    中古カメラに忘れられたフィルムに第一次世界大戦の写真が…なんて記事(http://japan.digitaldj-network.com/articles/13224.html)がありましたが、こんな風な出会いがあるのも、アナログのカメラだからこそ、って感じがしますもんね。

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