もともと、仏教以前から山岳信仰を有していた古代の「日本」人。
11世紀頃から浄土教(死後の世界にもっとも深い内省を与える!)が一般的に浸透した。
で、その後、高野聖が全国を遊行して聖なるお山の高野山へ納骨を勧めてまわった。
で、簡単にいえばこんな感じの流れが。
山の上は神聖な場だ!
↓
実は、山の上が浄土へとつながっていく!
↓
そうか、それこそが神聖なる高野のお山だ!
↓
じゃあ、そこに遺骨を納めれば成仏できるじゃないか!
とまぁ、あまりに単純化しすぎのきらいがあるが、こんな感じで、遺骨崇拝の基礎は築かれた。(本当に単純化し過ぎだが・・・)
でも、遺骨を保存しておくことに執着しない国も、もちろんある。
たとえば、インド。遺骨は川に流す。
インド人はガンジス川を崇拝し、遺骨を川に流せば魂は昇天する、と信じている。
インド人はガンジス川を崇拝し、遺骨を川に流せば魂は昇天する、と信じている。
アメリカなんかもかたちこそ違えど、遺骨に執着しない。
エンバーミングによって、遺体を防腐処理して土葬する。一時的にミイラ化させるわけで、遺骨よりも肉体に重点が置かれるのだ。
じゃあ、タイは?
この前もみたとおり、遺骨に対する崇拝意識は高い模様。
ソンクラーン(タイ正月)のときには、遺骨の供養を寺で行うという。
まぁ、残念ながらまだそれを生で見たことがないので、尋ねてみる。
「遺骨供養の儀礼の話を聞いたことがあるんだけど」
「ああ。ソンクラーンのときにたまにやっている家があるな。寺に集まって遺骨を供養するんだ」
「へぇ。遺骨への崇拝があるんだね。で、どれくらい前からやっている儀礼なの?」
「そりゃ、リョウタお前、古く昔からさ」
「昔?100年くらいかね?」
「いや、どうだろう。とにかくまぁ、昔さ」
よく村人に尋ねると返ってくる”昔”の言葉。
彼らの昔や時間感覚は、僕とは違うと思うので、ちょいと調べてみたところ、遺骨供養の始まりはラーマ1世の頃のようだ。
だからまぁ、200年くらい前か。
その頃の『新宮廷規定』(プララーチャ・ガムノット・マイ)は遺骨についてこう述べる。
「荼毘に付された後の父母の遺骨は、つぼに入れ、布にくるみ、講堂に安置すること・・・」
で、遺骨は講堂に放置するな!自分の家か、適当な場所に埋めろ!とも戒めている。
問題はなぜそれが「創られた」か。なぜ政治的に規定されなくてはならなかったか。
その回答を今のところ僕は持ち合わせていない。
ただ、ラーマ1世はその治世、古典文学「ラーマキエン」を完成させたり、薬用植物の手引書を編纂したり・・・といった感じで、非常に文化的側面の発展にも力を注いだ。
文化の発展に力を注ぐことで、新たな権力主体としての威光を高めようとしたのかもしれない。
だとすれば、ラーマ1世紀の葬儀に関する権力主体の介入も、そんな文化的政策の文脈で考えられるべき、かもね。
タイでの遺骨供養が200年くらい前から始まっている
返信削除というのは私の感覚では”まだそんなものなのか”
という感じです。私のような素人考えではタイ人は
すごく信仰深いイメージなので遺骨供養などももっと
もっと昔からしていたのでは?という感じです。
火葬して骨壷に入れるというのもそもそもどこから
始まったのでしょうね。
どんどん疑問が湧いてきますねぇ。
酒入りスープもあれば今回のような信仰に関すること
など、いずれにしてもタイの文化に違いなく、やっぱ
Ryotaさんのブログは面白いです!
Phimaiさん
返信削除遺骨供養は言葉化されたのが200年前が初めてであって、それまではPhimaiさんがおっしゃるとおり、なんとなく供養を行ってきたのかもしれませんね。タイで火葬の習慣が始まったのはいつからなんでしょうかね?今度調べてみます。
インドの影響も大きく受けたタイやラオス。もし何か歴史的に違う作用が働いていたら、遺骨はメコン川に流す・・・なんて慣習が現在に伝わっていたかもしれませんね。伝統はわからんもんですねぇ。
それにしても、Phimaiさん。いつもありがたいお言葉をいただき、うれしいです。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。(もっと褒めろ、褒めろ!って言っているわけではないですよ。笑)