ラオの「反乱」という言説



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恐ろしいほどに、ブログの更新が滞り、自分の文体を忘れてしまった感がある。

最近はなんやかんやあって、どうもブログに向き合えなかった。

しかし、これからは昔のように少しづつでも、なるべく更新をしていこう。


ということで、私は相変わらず、元気にロッブリーで暮らしています。


さて、先日、イサーンに車で向った。(といっても、かなり前)

目的は、ラーマ5世の時代(1900年頃)に、村人の宗教的な「政府反乱運動」があったとされる村に行き、その記憶を尋ねることだった。


メコン川に近いサコンナコン県の中の、小さな村。


突然の訪問にも関わらず村長は、ここが集団が集まったとされる場所だの、曰く付きの井戸だの、といろいろと教えてくれた。





して、僕が「反乱」という言葉を使って質問を投げかけているとき、村長は静かに言った。

「実のところ、反乱なんてしていない。彼らはただ皆で集まって、タンブン(積徳行)をしていただけだ」



そう。歴史学のなかで描かれている、イサーン全域で起こった「政府反乱運動」なるものは、そのほとんどが反乱なんてない。

村人たちは、今よりも少しでも良い時代がくることを希望して、祈り、積徳をしただけ。そこに、政府が軍隊を出して介入したにすぎない。


たしかに、一部の集団は力を行使してウボンラーチャタニーを奪おうとした。

だが、それにともなって、それ以外の大多数の、ただタンブンをしていただけの集団も「反乱」者というレッテルが貼られ、語られてきたのである。

そのレッテルは、政府の統治を揺るがす、蒙昧なイサーンの人々が起こした「反乱」という言説を創るためのものである。

それで、支配の正当性が確保されるのだ。


権力主体のための都合のよい歴史認識。地域の内部を無視した歴史認識。それを知らず知らず、受け入れていた自分。

村長に言われて、そんな基本的なことに僕も気づかされたのである。


もしかしたら、イサーンを象徴する水牛をみて、「のどかだなあ」なんて感じるのも、実は誰かによって創られた感覚なのかもしれない。








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