”日本と中国の文化を、田舎の子供達に紹介しよう!”

そんな目的のもと、先日、大学生らとともに、ロッブリーから1時間ほどはなれた、田舎のとある学校へ行って来た。

学校では、幼稚園児から高校生までが勉強している。

その中で、今回は小学校6年生、および中学生たちと戯れてきた。



学校に到着すると、校庭というか、広場というか、それがなかなか広い。

もちろん、仏像が安置されている。タイらしさ満載。

日本の校庭に、こんな風に大きな仏像が安置されていることは、まあ、あまりないだろう。





健康ブームの現代らしく、ちょっとしたフィットネス器具も完備。




夕方になったら、おそらく地域住民も利用するのじゃなかろうか。




さて、イベントでは…

学生が浴衣をきて踊ってみたり、




日本や中国についてのプレゼンが行われたり、




習字や料理、折り紙、伝統的遊びなどを100人ほどの学生に一日がかりでふれさせたり、とまあ、盛りだくさん。

僕は、伝統的遊びを教える、というか一緒になって遊ぶグループにいたのだが、だるま落としが以外にも好評だったことに驚く。



シンプルさがいいのか?


ま、羽子板なんかもやっちゃって。



こどもたちは、いろいろと楽しんでいたようだ。


ふと、思い出す。

小学校1年生のころである。

ラオス人の女性が学校にきて、講演したことがあった。


ラオスという国はとても貧しいこと、日本とは全然違って子供達は欲しいものもろくに買えないこと…なんかを話していたように思う。

この記憶がなぜかずっと僕の中に残り続け、そして今では、タイやラオスと深く関係をもっている生き方をしていることに不思議な縁をよく感じる。



今回、僕たちがこの学校に行って伝えたことが、子供達のなかにわずかながらでも記憶として残り、そして、将来の何らかのきっかけになってくれたらいいなぁ、なんて思う。

そう考えると、寄贈した数冊の本やおもちゃも、彼ら・彼女らにとって今後の大きな意味をもつ贈り物になるかもしれない。




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先日の日曜日、バンコクにて、タイの学生を対象とした漢字や日本クイズのイベントがあったので、学生の引率者として参加してきた。

まあ、無論僕は、バンコクには前乗りし、当日イベント会場のホテルで生徒と合流した。



当日、会場に向うと、なかなか立派なホテル。



短パンじゃなくてよかった〜と、少し思う。

まあ長ズボンといえども、おもいっきり遊び感ただよう、私服ではあったが。



中に入ると、日本らしさ満載。




タイ語の、日本(語)関連書籍が並んでいる。




高校から大学生まで、かなりの学生が集まっている。



それにしても、今どきのタイの学生は、スマホに夢中だ。



さて、漢字テストや日本クイズの名簿に目を通すと、チュラロンコーンやタマサート大学も参加している。

「なかなかの大学が集まっているねぇ」

そんなことを思いながら、学生が漢字テストを受けている間、会場のブースの写真を撮って回る。



「すみません。どういった関係の方ですか?」

先生にしては、遊び的な私服感満載だったので、何者かと思われたのだろうか。



「いや、生徒が今、漢字テストを受けているものですから」

「あ、先生でしたか。すみません。また次回、こういったイベントがありますので、ぜひ。名刺を下さい」

「ごめんなさい。名刺もってきてないんですよね〜」

「じゃあ、これに記入をお願いします」

なんか大丈夫かな?と思いつつ、名前をかいた。

まあ、ビジネスとしてタイと日本をつなぐこういった人と、教員がつながることにマイナスはないだろう。



それにしても、会場には色々な語学学校や大学、企業がブースを出していた。




日本や日本語に興味のある優秀なタイ人を日本に引っ張るためには、こうしたイベントはいい機会なわけだ。

もちろん、日本に行きたいタイ人にとっても。



そうこうしていたら、テストを終えた学生が出てきた。

「センセイ。すっごい難しかったよ。○○は日本語でなんと言うんだっけ?…こう書いてあったら、コレなんて読むんだっけ?…」

数々の質問を受ける。


「そういえばセンセイ。やっぱりチュラ大の生徒はすごいんだよ〜。みんな上手に日本語喋って、漢字もほとんど満点だったみたい。なのに、私たちは…」

バンコクっ子の生徒達のなかにあると、かなり田舎の子的な素朴さを醸し出しているロッブリーからやってきた我が教え子たちは、語った。



「そうだ。コレ買って部屋に貼ろう」

何人かがそう言って、1000文字くらいの漢字がぎっしりと書かれた、ポスターを買っていた。

なんだか、とても健気で微笑ましい。


帰りは皆で車で帰った。

車では、生徒達は到着までずーとしゃべりつづけ、しまいには歌っていた。

”大きな栗の木の下で〜…”

まるで、幼稚園のバスの中。

漢字テストの成績なんか、あまり関係ないようだ。


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先日、尊敬する日本近世史研究の先生の訃報を聞いた。


先生の授業はとんでもないスケール。文化の細かい話を展開しながら、最後は国家論にまで進めてしまう。

とにかくいつも、「はぁ〜、すげえ」という感想ばかりをもった。



先生が生まれてはじめて大学の教壇に立ったとき、その授業終わりに生徒達から拍手喝采を受けたとか、とある研究大会でプレッシャーに負けて当日発表に来られなかった研究者の代わりになぜか先生が指名され発表し、質疑応答も完璧にこなしたとか(タバコを吸いながらやったらしい。笑)…

とにかく色んな伝説をもった先生だった。

生活もカッコよくて、とにかく偉大な先生だった。



僕も先生には、とてもお世話になった。


授業終わりには必ず呑みに連れて行ってくださった。

「研究者にとって、飲み会ほど大事なものはない。呑みながら話していることが、成果に繋がることは多いんだぞ。いや、むしろほとんどそうだ」

そう言って、みなの前で笑っていた先生。

確かに呑みの席での先生の話は、今も頭にこびりついているものが多い。



「若曽根君。とにかく君はアジアへ行ってこい。僕も、もう少し若ければ、絶対にアジアのことをやっている。とにかくもう、日本の歴史だけみててはだめだ」

呑みの席や調査にご一緒させてもらったときなどに、よくそんなお言葉を頂いたように思う。



そんな先生が亡くなられたという。

僕は今、大学で何コマか授業を担当しているが、そのなかに「日本事情」というのがある。

そこで江戸時代の歴史や文化の話をしているが、どうしても先生のご著書『全集 日本の歴史 別巻 日本文化の原型』を参考にしたくなり、先週末、バンコクの国際交流基金バンコク日本文化センターの図書館に行って来た。


図書館に入って、何処にあるかも分からずとりあえず突き進んで、一番最初に目に飛び込んで来た本。

それが、偶然にも全集 日本の歴史 別巻 日本文化の原型』だった。

これは先生が呼び寄せたとした思えない。



「そういえば先生はいつも、『ドクターの学生には無料であげる』と言ってご自分の本を配られていたなぁ。今回もそんな感じだな」

そんなことを思いながら、久しぶりの夜のアヌサワリーを眺めていた。




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「異国から来た先生は体調を崩した時、本当に可哀想だと思うんだ。精神的にかなり寂しくなると思うんだよね。だから、俺たちはなるべく面倒をみてあげなくちゃと思うんだよ」





数日間の極度の嘔吐と下痢で脱水症状になり、大学内の医務室で点滴を受けながら半分寝ていた僕は、こんな会話を耳にした。

ニウェート先生が、お医者さんと話していたのである。



そう。

他所の国で病気になると、肉体はもとより、精神的に結構まいる。

「あぁ、日本が恋しい…」なんて思う。

いや、「ちょっと日本食が恋しい…」だろうか。

いずれにしても、妙な孤独感に襲われるものだ。

いうならば阿倍仲麻呂の「天の原…」である。



でも、今回の病気は本当に色々な方にご心配いただき、精神的に救われた。

ニウェート先生は、7時間ほど受けていた点滴の間、仕事の合間をぬっては、何度も様子を見にやって来てくれた。

他愛もない話をしてただけだが、気分が和らいだもんである。



また、酒のみ友達の先生方や事務の方も「日頃の行いが悪いからだ〜。ざまあみろ〜」とか「何変なもん食ったんだ〜?」とか悪態をつきながらも、様子を見に来て、ワイワイと騒いでいた。

「アルコール持ってこようか?」

そんなジョークをうけて、僕は真面目に吐きそうになったくらいだ。



生徒達にも心配をかけてしまった。

わざわざ僕の家に何か欲しいものはないかと様子を見に来てくれたり、点滴終わりを医務室の前で待っててくれたり…

「センセイ、オダイジニ」

日本語で声をかけて、ペコリとして、帰って行った姿が印象的だ。



アパートの食堂のおばちゃんも、おかゆの代金を頑に受け取らなかった。

「お金はいらない。それより早く体調を治しなさい」



こんな風に優しくされるのは、異国にいる身にとっては本当に幸せなことである。

妙な孤独感から、救われる。



僕は本当にタイの人々にはお世話になってばかりである。

これから少しずつでも、恩返しをしていかないとねえ。



とりあえずは体調を戻すところからだろう。

ということで、寝よ。



ちなみに、食あたりの原因はどうもニウェート先生宅の食事にあったと思われる。

僕が点滴をした日の夜には、ニウェート先生も嘔吐が始まったらしい…





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