高い専門性が求められる今後のジャーナリストと、タイの報道。



ースペシャライズド・ジャーナリズムー(以下”SJ”と略)

専門分野を深く取材し、それを分かりやすく伝える報道のことをいうらしい。



牧野洋の「ジャーナリズムは死んだか」の中で本日1月26日付けで掲載された、”医師の資格を持った記者が医療問題を取材。ネット時代の記者の競争力は専門性にある。南カリフォルニア大学のパークス教授インタビュー(後編)”は興味深った(もちろん、前編も。笑)ので、タイとの関連で思うところをブログに記しておこうと思う。



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ハリケーン・カトリーナの災害現場で働く医師や看護師の実態に迫ったルポで、2010年に調査報道部門でピュリツァー賞を受賞した記者シェリー・フィンク。

実は彼女は、新聞社に勤めたことのないフリーランス出身だという。

それでも彼女の記事は高い評価を受けた。

それはフィンクが、一流誌のベテラン編集者らから指導を受けていたり、学生時代に長文の読み物であるフィーチャー記事の書き方も学んだりして、フリーランスでもジャーナリストとしての訓練を受けてきたからだ。

彼女のように高い専門性をもってして物事を取材し、報道記事を欠く存在。それがSJである。



牧野氏によるとSJの存在が近年重要視されているらしい。その背景にはもちろん、ネット社会の浸透がある。

ツイッターをはじめとしたSNSは、ネット上に速報ニュースを瞬時に流すことを可能とした。そのため、ジャーナリストに求められる役割も変わったのである。

パークス教授はインタビューでこう答えている。

”インターネット時代に発表処理など速報ニュースで勝負するのは論外です。どう差別化したらいいのでしょうか。深く掘り下げて分析する能力です。このニュースにはどんな意味があるのか、これから何が起きるのか、地球の裏側では何が起きているのか ---こんな疑問に答える能力です。”


まさにその通りであろう。

専門分野に精通した人間が記者として問題を掘り下げていく作業は重要視されて当然である。ジャーナリズムの本質は権力監視であるという点からみてもね。



じゃあ、日本はどうだろう。

もうこれは書くのも面倒くさい。

終身雇用を基礎とした新聞社の世界の中で、想像力や深い分析力とは関係なく、牧野氏がいうように「サツ回り」から始まるんだろう。



じゃあ、タイは?

タイの報道の偏りは(も?)、なかなかのものだ。新聞やテレビが報道機関として独立性を保持していないのである。

専門的な部分を掘り下げていくというレベルにはまだまだ至っていない。



もちろん、報道は公正であるべきだという認識はある。

報道ジャーナリストが団結して報道の水準を維持し報道倫理を守ろう!という目的を掲げている職能団体:タイ国ジャーナリスト協会(Thai Journalist Association)も存在している。

協会は、たとえば選挙のときなんかに独自のサイトを立ち上げて有権者に正確な情報を提供する、ってなことをしたりもしている。



だけど、そもそも、タイには政治的な影響力を持つ社会勢力がまだ出そろっていない。大学人や知識人も割と静か。学生もおとなしい。

それでいて、マスコミが今なお未熟。

となると、なかなか”正論”を語れないだろうし、民衆の声を集約できないのだ。



とすると、ちょっと待てよ、と言いたくなる。

インターネットがかなり浸透したタイ社会。これから大きく変わっていける可能性は大きい。

まだまだ未成熟だからこそ、逆に新しい報道のあり方=専門的な部分を掘り下げるような記者が活躍しやすいのかもしれない。変に構造化された日本よりはよっぽどって感じだ。



あ〜、でもなぁ。

タイは不敬罪やらなんやらが多くて、それは超!大変だけどね。



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2 件のコメント:

  1. へー。タイにも報道を守る協会があるのですか。初めて知ります。
    牧野氏の記事にあるようにこれからは記者の教育が大切ですね。
    今までのようなやり方では通用しないのでしょうね。

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  2. 記者の教育という牧野氏の指摘は大切ですよね。
    特定の分野に精通した人が、どんどん社会に食い込んでいくようなアメリカの体制はすごいなぁと思います。とりあえず、日本やタイの新聞。匿名記事の改善からって感じですかね、
    コメントありがとうございました。

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