パクセーの街を出て約30分。

これまで通ってきたアスファルト道路が工事中らしく、巨大な大木でふさがれていた。





そこで、仕方なく横道にそれるが、これがなんとも、でこぼこ道。



がったん、がったん揺れながら運転していく。




砂埃もひどい。

僕の目は細めだが、それでも容赦なく砂が入ってくる。

サングラスを持ってこなかったことを後悔しつつ、がったん、がったんと進んでいく。



そんな僕の様子を、ワゴン車に乗った西洋の観光客達が見て、一様に半笑いだった。

「オー。 東洋人は根性があるね~」

「オー。 まさに、サムライ」

そんな声が聞こえてきそうな、半笑いさ加減だったが、こっちは運転に集中していて、彼らに笑顔やサムライパフォーマンスを送る余裕など無かった。

ワゴン車は、砂埃に苦しむ僕を尻目に、颯爽と駆け抜けていった。


笑顔くらい送ればよかったと、いまさらだが後悔している。



まぁ、それはさておき、しばらく行くと、アスファルトの道路が見えてきた。

こいつは助かったと思いきや、実のところ、もっと悲惨だった。

砂埃で、視界は最悪だ。



それに、砂利だとハンドルも持っていかれる。

対向車が跳ね上げる小石が首筋にあたったときは、これが目だったら・・・と思い、ゾッとする。

やっぱり、サングラスを持ってくればよかったと、切に思う。

なんとも神経を使う運転である。



こんな悪路を進むこと10分。

ようやくバイクは、舗装された村の道にいたった。






その村で僕はあるお祭りの情報を得る。

偶然にも、ラオスで一度見てみたかったお祭り。ブンパウェート。



ワットプーの遺跡を前に、ちょっと寄り道をすることとなった。


応援のほど、よろしくお願いいたします
にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ
ワットプー付近まで、あいかわらずのどかな道が続く。

何もないなぁと思っていると、小さな家がポツリ、ポツリ。

集落だ。



学校もある。




何か飲み物でもと思い、日光をよけてボーとしている男達のいる商店に入った。




店のオヤジは裸だ。




「ワット・プーに行きたいのだけど、この道であってます?」

「ああ。この道をまっすぐさ。近いもんだ」



近いのか、と安堵したが、しかし、ここで親父が半笑いになった瞬間を、僕は見逃しはしなかった。






どうも怪しい。

地図で見ても50キロはある道のり。近いだろうか。まぁ、いいか。




さて、今回のラオスの目的はラオトゥン(中腹ラオ)をもっと知ろう!ということ。

そこで裸のオヤジに、ラオトゥンのことを聞いてみた。



「ラオトゥン?ああ、山の連中か。ここいらにはいないよ。

俺らはラオルム(平地ラオ)さ。彼らに会いたければ、もっと山へ行ったほうがいいぞ」

「ええ。そうですね。ただ、今から行くワットプーはもともと、ラオトゥンが大きく関わっているんじゃないでしょうかね?ラオトゥンはもともとは平地に住んでいたわけで・・・」


「昔は知らんが、今、ワットプーはラオスの宝だ。

なんとも素晴らしい、遺跡だよ。見に行くといい」


まぁ、さっき道を聞いたくらいだから、実際に今から行くんだけどね。



ところで、オヤジの言葉。

ワットプーはラオスの宝・・・

言ってみれば、ラオルムの宝。

そこにはラオトゥンに対する意識があまり見られないようだ。



これまでにラオス国家が実施してきた、ラオルム中心のナショナリズム的歴史観や世界観が、こんな辺鄙な田舎にまで根強いている。



うーん。

歴史の中心からは周縁として見られるラオトゥン。

彼らの側から見た歴史像も、今後どんどん描かれなくてはいけないだろう。



別に立場を逆転させて、彼らを中心に、ラオルムを周縁に、という歴史を描かねばというわけではない。

そうではなくて、様々な面の歴史像が提出されて、ナショナルヒストリーが相対化されなくては、ということだ。

いうならば、”歴史像の選択肢”を作らねばってこと。



「そうだ。それを担うのは俺しかいない!」

ジリジリと照りつける日光の下、変な意識と根拠のない自信を胸に、バイクを見つめた。





「気をつけて行ってこいよ!」

オヤジのこの言葉は、これから待ち受ける悪路を想定してのことだとは、このとき僕はまだ知らなかった。





応援のほど、よろしくお願いいたします
にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ
パクセーの市街地から、タイとラオスをつなぐ国道10号をタイ方面に向かっていくと、大きな橋を渡ることになる。



メコン川にかかるこの橋には、日本とラオスの国旗が刻印された碑があったので、日本のODAによるものらしい。

立派な橋だ。


橋を越えて、しばらく10号を直進する。

宿でもらった大雑把な地図によると、ワット・プーへ行くには、通りを左折して南下しなければならない。

まぁ、道路以外は、ほぼ、田んぼや野原なので、見つけるのは容易いものだ。

5分ほどで、三叉路にぶつかり、「ようこそワットプーへ」的な看板が目に入った。

ひと安心。南下した。



そこからは、ワットプー付近まで一直線。

ワットプーの細かい位置は分からないが、まぁ、周辺に行けばなんとかなるだろう。


バイクを走らせる。




山々が連なっていって、イサーンとはイメージが違う。


田園も広がる。




イサーンでは、村や田んぼが幹線道路から奥に入っていることが多いが、ラオスでは幹線道路に接していて、田園地帯を見渡すことができるのだ。



バイクをゆっくりと走らせると、


ヤギも歩けば、




水牛も僕を見つめる。




ワットプーの道のり。

途中までに関しては、のどかで平和なのだ。


この先悪路が控えていることを、僕はまだ知らない。



応援のほど、よろしくお願いいたします
にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ


映画『サバイディー・ルアンパバーン2』の中で、主人公と共にくっつきまわっている、生意気だが、どこか憎めない少年。

そんな少年が、落ち着かない表情で

「怖いよ、ここは絶対にピー(精霊)がいる。早く行こう」

なんて言って、仏像を拝むのもそこそこに、外に出て行ったシーンが思い出される。

確かにここは、霊験あらたかなムードが漂っている。







ワット・プー。

クメール様式のヒンドゥー寺院で、世界遺産に登録されている。

その姿は、ラオスの先住民モン・クメール系民族ラオトゥン(山腹ラオ)の人々の、かつての繁栄を象徴するかのようだ。

現在、ラオトゥンは、後からやって来たラオルム(低地ラオ)の人々に追いやられ、山地に暮らしているが、かつて彼らは平地に暮らし、生活を営んでいた。

ワットプーが彼らの精神的な部分を担っていたのだろう。

今はひっそりと、丘の上に建ち、観光者の心を惹きつけている。




ラオス南部の都市パクセーに滞在した僕は、どうしてもラオトゥンの人々が生きた”証”みたいなものが見たくて、ワット・プーに行くことにした。

現地までの地図を持っていなかった僕は、とりあえず、地図を求めてホテルのフロントのお姉さんに聞いてみる。

「これでよければ・・・」

なんとも大雑把な地図。

というか、ホテルの紹介の地図。市街地の中でのホテルの位置を知るためには最高だ。

無論、ワットプーは出ていない。



「実は、ワット・プーに行きたいんだけど、どのあたりかな?」

「うーん・・・・この辺かな」

彼女は少し悩みながら、机の上を指差した。

地図から見切れてしまうほどの距離のようだ。



「遠いの?バイクで行きたいんだけど」

「50キロくらいだから、いけると思うよ。大丈夫、大丈夫。気をつけて」

いい笑顔で見送られた。



まぁ、何とかなるだろう。方向は分かったし。

ということで、市街地パクセーでバイクを借りる。

たどり着くか分かったもんじゃないので、念のため、ガソリンを満タンにする。



タイ・イサーンではおなじみの、お手製のペットボトル・ロートでのガソリン注入。



東南アジアでは広く見られる、ワイルドなガソリン入れ、である。引火は怖いけど。

(続く)


応援のほど、よろしくお願いいたします
にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ