村人たちの前で、ギターを弾き語るその友人は、物静かだ。

見た目はTOKIOの長瀬風なのに、高倉健ばりの渋いトーンを備えている。

僕とは性質が違う。


彼は、普段は村の役所に勤めている。

で、時々、村のイベントなどの際に、皆の前で歌を披露するのだ。



村人たちが寝静まった夜更け。

僕たちは、村の道にござを敷いて、酒を呑んだ。

同世代ということも手伝って、お互い気を使うこともなく、静かに酒を酌み交わす。

相手が高倉健ばりだと、僕も物静かに酒を嗜むようになるものである。


「俺は、歌手になるためにこの村を出て、都会へ行った。最初はバンコクに行き、その後、パッタヤーのとある店で歌っていたんだ。

でも、なかなか思うようにいかなかった・・・

当時、一緒に住んでいた彼女も、僕と同じように、歌手だったんだ。

で、彼女は成功した。今もパッタヤーで歌っているはず。

才能があったんだ。本当にすばらしい歌手なんだよ。


僕とはぜんぜん、違ったんだ・・・・


そして、今は村に帰ってきて、役所に勤めている。

それでも、村のお祭りの時なんかには、ギターの弾き語りもやるんだよ」



音楽のことを話している彼は、懐かしさと、少しのさびしさを抱えているように見えた。

それでも、とても輝いていた。

夢破れたとはいえ、やはり、音楽が好きで仕方ないのだろう。

そんな感じがひしひしと伝わった。



その日は、2人で、ビール瓶を20本近くあけて、ベロベロに酔っ払った。

次の日は当然のごとく、二日酔いだったけど、役所内で、ビシッと制服を着込んで、彼は仕事をしていた。


音楽の話をしているときの彼も輝いて見えたが、役所内でもキマッていた。

僕と目があうと、”頭痛い”というジェスチャーをした。



「もう一度、バンコクとかへ行って、歌いたい?」

「いや、もう都会はいいんだ。村でこうしてみなと静かに触れ合いながら、時々歌を歌う。これで幸せだよ」

そう、静かに語った彼が、村で村人たちに歌を披露する、その姿をいつか見たいものである。


※敬称は略しました。

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タイやラオスの田舎を歩いていると、必ずといっていいほど集まってくるのが、地元の子供たちだ。

特に、僕が長年お世話になっている家には、小学校低学年のお子さんがいて、友達も引っ切り無しにやってくる。

そのため僕の顔はすぐに近所の子達に覚えられ、道を歩いていても、「ハテ?どこの子だ?」という子から名を呼び止められる。

(実は大人たちからも同様に声をかけられる。たいがいは酒飲み!)



だが、何を隠そう。

実は、僕は子供と遊ぶのが得意ではない。

別に子供が嫌いというわけではないのだが、基本的にどう遊んでいいのか分からないのだ。

犬と遊ぶほうが数倍、得意なのである。



ということで、子供たちが大勢ワッと来た日には、僕は戸惑いを隠せない。

一刻も早くこの場を去り、犬と戯れたくなる。



「見て、見て。りょうた兄ちゃん!」

と言ってわけの分からない行動を僕に見せ、そして爆笑しあう子供たち。



「いや、いや。意味分からないから」

子供たちの行動に日本語で言い、距離をとろうと企てる。



「イヤ、イヤ。イミワカラナイカラ・・・」

爆笑する子供たち。

すぐに日本語を吸収してしまうパワーには圧巻。



「もっと、日本語教えて!」

僕のあくどい企ては功を奏すことなく、逆に子供たちは増え続けていくのであった。





でも、まぁ、こうして写真を見ると、皆、本当にけなげで可愛い。

周りに集まってくれること自体、ものすごく幸運かな。



将来、彼らとイサーンの村の地べたにゴザを敷いて、イサーン料理をつまみながら酒を呑む。

そんな日がくることを想像するだけで、いやはや、なんともワクワクしてしまう。



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イサーンの村々を歩いていると、自分の村の歴史や文化を丹念に調べている”先生”と呼ばれる人物に出くわすことが多い。

本当に学校で教鞭をとっているわけではないが、”先生”として村人から大いに尊敬されている。

確かに”先生”は勤勉で、「村博士」といった態である。



また、”先生”は、人材育成にも非常に熱心だ。

子供たちに自分たちの村の歴史や文化を調べさせたり、村の要人にインタビューをさせて映像化したり、あるいはセミナーにおいて子供たちの発表の場を必ず設けたりしている。

自分たちの村のことを自分たちで調べて気づかせ、考えさせ、発信させる。そうした環境を整えているのだ。



ところで今、イサーンの村人の多くは携帯電話を所有し、また徐々にだがインターネットも普及し始めている。

村人は世界につながるツールを手に入れつつあるのだ。

そのため今後、そうしたツールを利用して、イサーンという、我々先進国から見ると辺境に位置する地域から、情報がどんどん世界に発信されていくことだろう。

     ”地域住民が主体的に自ら発信する情報”

それは、これまで、人類学者や社会学者などの一部の学者だけが担い、発信してきた”情報”を相対化する、大いなるパワーをもつはずだ。


その意味でも、今後そうした情報発信の主役となる子供たちを育成していく”先生”は、重要な存在である。



とまぁ、村の”先生”の重要性を書いてみたけど、でも、僕は何が好きって、それは”先生”のお宅での緩やかな時間の流れだ。


村人から多くの尊敬を集める人物というのは、やはり徳があり、穏やかで、そしてなにより謙虚なことが多い。

”先生”が、つたない僕のタイ語にもちゃんと耳を傾け、お話してくださる、そんな緩やかに流れる時間が、いやはや、至極なのである。




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昨日タイでは、ロイクラトン(灯篭流し)が実施された。

バナナの葉で作った灯篭を川に流すことで、川の精霊を祀り、水の恵みに対する感謝と、祈りをささげる。



「子供のころ、ロイクラトンやった?」

以前、同世代のイサーンの友人に聞いてみたことがある。

「やったなぁ。クラトン(灯篭)を家族皆で作ってさ。でも、綺麗に作れなかった記憶があるよ。」



「イサーンでロイクラトンをやるようになったのって、いつ頃かなぁ?」

「???ずっと昔だろ。そりゃあ」



「いや、ロイクラトンはもともとタイ中央部の慣習だよ。今は国民行事化しているから、イサーンでもやってるけどさ」

「そうかぁ、そういわれてみれば、6歳くらいに初めてやったような気がするから、その頃からイサーンでも始まったんじゃないか?」



「・・・・それは自分の記憶の始点であって、ロイクラトンがイサーンで始まった時じゃないだろうな」

「ハハハッ、ハハハッ」

なぜ爆笑かは不明だ。



「ロイクラトンがイサーンで行われるようになったのは、いつ頃だと思います?」

質問の矛先を友人のおふくろさんに切り替える。



「ロイクラトン?・・・そうねぇ。私が5~6歳くらいからやっている気がするなぁ。その頃じゃないの?」

親子である。



ここまできたら、「もしや?」と思い、友人の祖母に聞いてみる。お歳は82歳。

「そうねぇ。私が6歳くらいのときにやった記憶がするね。今みたいに大きな行列が出たり、式をやったりといったことはなかったけど。バナナの葉でクラトンを作って沼に流したよ」

やっぱり親子である。


だが、イサーンで始まった時が確定できない。こうなれば、曾婆さんに聞いてみたいが、存命ではないようだ。

残念である。



分かったことは、少なくとも75年ほど前には、ロイクラトンをイサーンの人は認識し、行っていたということ。

そして、親子は似る、ということに尽きる。



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ござだけが敷かれた、薄暗い、がらんとした部屋。

冷蔵庫もテレビも、ない。


そんな部屋に1人で住むおばあさんは、我々来訪者を迎えるため、横たえていたござから、ゆっくりと身を起こし、こちらに近づいてきた。

80歳くらいのおばあさんは、体の調子があまり良くないらしい。

我々は、バンコクからの土産を手渡すと、おばあさんはタイ式の挨拶”ワーイ”をして、それを受け取り、部屋の片隅に置いた。


おばあさんとしばし、談笑。

体調が芳しくないおばあさんは、親戚たちの勧めで、モーラム・ピーファー儀礼を受けたという。



モーラム・ピーファー儀礼は、イサーンの村において、病人を治すために行なわれる呪術的な儀礼。

村のピーファー儀礼を行なう女性たち(世襲制)が集まり、踊る。





これにより、天の精霊が女性たちに宿り、病人を快癒に向かわせると信じられているのだ。


僕も以前、ピーファー儀礼を見たが、女性たちはトランス状態になって、踊っていた。





そして、儀礼の甲斐あってか、あれから数年たった今でも、おばあさんは元気だ。

喜ばしい限りである。



しかし、儀礼において踊っていた女性の1人が、儀礼から間もなく、亡くなったらしい。

交通事故だったとか。


人生、分からないものである。



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階段を上って突き当たりの部屋に、イサーンから出稼ぎにきている夫婦は住んでいる。



歳は、40歳に手が届くか、といったところだろうか。



家賃は、月1000バーツ(3000円)ほど。

4畳半くらいの広さで、小さな窓はあるが、トイレ・シャワーはない。



部屋の中には、テレビと食器棚、たたまれた布団だけが置かれている。

その布団に寄りかかりながら、旦那さんはムエタイのテレビ放映を見つめ、時折「オーイ!」などと声援を送る。

奥さんは、水や食べ物を用意する。



僕や友人たちは、奥さんと共に、イサーン料理をカーオ・ニアオ(もち米)でつまみつつ、しばし世間話。

旦那さんも、ムエタイを見つつ、会話に加わる。

ゆったりとした時間が、薄暗い4畳半の部屋に流れる。

笑いは、絶えない。



旦那さんは車の整備士で、奥さんは洋裁の仕事に従事している。

決して稼ぎのいい仕事とはいえない。

そして、稼ぎのほとんどは、イサーンに残してきた子供たちに送金される。



教育費を捻出するために、バンコクに出稼ぎに来た2人。

彼らの生活は、裕福とはいえない。

でも彼らは、底抜けに明るく、そして人に優しい。



帰り際、奥さんが、三輪車に乗った近所の子供の背中を押して、遊んであげていた。

イサーンに住んでいた頃、我が子とあんな風に遊んでいたのかもしれない。



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同世代の、イサーン出身の友達と話をしていると、何気ないところで、育ってきた環境の違いを感じる。



友人の誕生日を祝う飲み会の席で

「子供の頃、誕生日に何かパーティーみたいなことをした?」

と尋ねてみる。

「そうだな。おかずが一品増えたな。で、ロウソクを立ててみたりしたかな。ケーキとかはないけど。当時、村でケーキなんて売ってなかったし。お菓子とかもバンコクに来て初めて食べたしなぁ・・・」



今のイサーンは状況が違う。

もちろん、裕福とはいえないが、それでも村でお菓子はそこら中で購入できるし、子供たちもそれを食べている。

誕生会にケーキを用意する家も見受けられる。


しかし、そんな状況は、友達にいわせれば、ここ10年ちょっとの話。その前までは、貧しいもんだったという。



でも、そんな貧しい子供時代を話す彼らに悲しい感じは漂っていない。

確かに貧しかったけど、いろいろと楽しかったよ、という雰囲気で、明るく話し、当時を懐かしむ。

誕生会の話も、貧しいながらも家族団らん、いつもより一品多いおかずと、仏教用のロウソクをとり囲んだ様子を語っている。



農作業を手伝っているときに、田畑の水牛に乗って遊んでいたら、ズルリと落っこちて、泥だらけになった。痛かったけど、皆で笑いあい、愉快だったなぁ・・・・なんて話を懐かしく、楽しげに話すイサーンの人々が、僕は大好きだ。






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日本から遠く離れた村にいると、ちょっとしたことでも”袖振り合うのも多生の縁”を感じる。



タイーラオ国境付近の村。

バイクを飛ばし、適当な小道に入り込んでみる。



森に囲まれた田舎道。

時折、土で汚れた人びとと、すれ違う。

きっと道は、田畑へと続いているのだろう。



前方に、お世辞にも綺麗な服装とはいいがたいおっちゃんが、ぶらぶらと歩いている。


これはおそらく、彼の横をすり抜けるとき、話しかけられるだろうなぁ。



「オーイ。サバイディ・ボー?(元気か?)」

・・・ホラね。

笑顔で、「サバイディ(元気です)」と答える。


だが、そのあとおっちゃんは、あまりに訛り過ぎたラオ語でまくしたてたので、僕には何を言っているのかよくわからなかった。

笑顔で、その場を後にする。



しばらく進むと、畑作業に向かう夫婦と出会った。

僕は会釈をして、カメラを向けてみる。


男らしく運転しながら微笑む旦那さんと、照れくさそうに少し顔をそむけた奥さんが印象的だ。

なんだか、ほのぼのとさせられる。



この場所には二度と来ないかもしれない。

あまりに適当に走ってきたので、ルートも覚えていないし。

だから、この夫婦に会うこともないだろう。

それでも、たとえ一瞬とはいえ笑顔を交し合い、温かい気持ちになれたことは、幸運だ。



    ”振袖り合うも多生の縁”


日本から遠く離れた地での出会いは、大小問わず、きっと宿世の因縁による、そう信じてやまない。


そういえば、ルアンパバーンの博物館で見た歴代のラオスの王様の写真が僕の祖父にそっくりだった。

僕はもともと、ラオ系の人間だったのかもしれない。

まぁ、分からないけど。



田舎の小道を往来する人々ともう少し触れ合おうと思い、道端に座ろうとしたら、あまりにでかい体と牙をもった蟻たちの姿。


サンダルの僕は、ダッシュでバイクに飛び乗り、その場から逃げ出した。



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   狛犬だな。


セブンイレブンを守護しているかのようだね。



それにしても、タイは本当に、野良犬が多い

そこら中で、ゴロリと寝転んだ犬たちに出くわす。




どいつもこいつもグタッとしていて、可愛いかぎり。



田舎に行けば、猿も一緒に、なんて場面も。


               犬猿!



でも、僕がタイで一番好きな野良犬は、サメット島にいる黒犬と、その兄弟犬たち。



コイツはずっと僕のそばを離れない。

僕が走り出せば一緒になって走り出す。

僕が座っていれば、僕の体に微妙に触れる程度の場所にひょっこんと座る。

観光客の僕にも懐っこいのだ。


時折、こいつらに会いに行きたくなるが、サメット島までは、ちと遠い。



ちなみに、写真はカニの巣穴を掘っているところ。

15分ほど穴を掘り続けて、やっとこさカニをゲット。

そのあと、カニの体を無残に噛み千切っていた。



ちょっと怖かった。



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先日、夜風を楽しみつつ散歩をしていると、思いがけない光景に出くわした。

バイク屋に、車が突っ込んでいたのだ。

現場は、「こんなところでどうやって?」と疑問に思わずにはいられないほど、見通しの良い大通り。




携帯でもいじっていたのか、フルーツでも食っていたか、それともバイクに見とれてそのまま突っ込んでいったのか・・・

何故かは一切不明だが、完全にバイクやへ突っ込んでいたのである。



僕が現場に出くわしたときはすでに、事故を起こしてしまったらしき男が、警察に囲まれて連行されていくところだった。

男はうな垂れつつ、神妙な面持ちで、警察へと続く夜の道に吸い込まれていった。



しかし、怒りがおさまらないのが、突っ込まれたバイク屋のおばちゃんである。



「あいつは、店に突っ込んだのに、なんのお詫びの言葉も無い!」

「あいつは、店の被害を何も考えていない!バイクに傷がついてしまったじゃないか!いったい、どうしてくれるんだ!」

「あいつは、自分のことしか考えていない!・・・・・」



怒号をまきちらす。

周囲の人々は一様に、半笑いだ。

「まぁ、落ち着けよ。事情聴取が終わってからバイクはなんとかしてくれるでしょ」



「いーや、あいつは侘びをいれてない!あいつは本当に自分のことしか考えていないんだ!・・・・」

おばちゃんの怒りは、同じ台詞のリピートで表現される。

そんな怒り心頭のおばちゃんには何を言っても焼け石に水、ということで周囲の人間はひとり、またひとりと夜の町に消えていった。



「自分のことしか考えていない!」と連呼するおばちゃん自身が結局”それ”になっている様子を半笑いで眺めていたら、涼しい夜風が体を撫でた。

タイに訪れる乾季を感じた。



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今日はタイではなく、彦根。


間伐した竹で作られた灯篭が、彦根城下町の宗安寺に並べられ、なんとも幻想的な情景。



「ひこねキャンドルナイト2010」というイベントだ。



キャンドルのやわらかな光が、闇夜に浮かび、道を照らす。




三成の旗印「大一大万大吉」の文字。 


三成生誕450年の節目の年だしね。



井伊の赤備えにちなんだ、赤いキャンドルも並ぶ。 




井伊家の「井」の字も、キャンドルで。




凛と冷えはじめる、晩秋の彦根城下町。

やわらかなキャンドルの光は、いくばくか寒さをやわらげてくれるようだった。

 

「タイのローイクラトン(灯篭流し)はもうすぐだ」と思ったしだいである。


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まさか、”呪い”か?

と、少しだけ怯えてみている。

ここ2、3日、腹痛と発熱で寝込んでいるのだ。


もちろん、普段であれば、腹痛と発熱をそんな風に解釈することは、ない。

いや、むしろありえないだろう。ピーポープ(胆喰いの霊)にとり憑かれているんじゃないんだし。



だが、今回は、少しおびえている。

それは、ある夢とその夢に対するタイ人の評価が、僕に”呪い”を想起させているのだ。



僕は最近、タイ東北部において100年以上前に発生した民衆運動について調べている。

公文書館に行っては、史料とにらめっこし、現場に行っては歴史を思う。

そんな日々だ。



して、その民衆運動。

特徴として、”呪術”によって奇跡を演じるカリスマ的存在が各地で名乗りを上げ、彼らを中心とした信者グループが、最終的に大規模な反政府運動に発展したというもの。

信者グループは、最後には政府に鎮圧され、リーダーたちはことごとく死刑判決が下された。

そして、彼らはタイの歴史から、反逆者としてのレッテルが貼られ、蔑まれてきた。



そんな民衆運動を日々調べていたある日、不思議な夢を見た。



大量の霊的なものに襲われる僕。

そして、なぜか僕の真隣にいた男の子に霊が憑依し、

「俺たちのことはこれ以上調べるな!」

と、低い大人の声で語りかける。(何故か日本語だった)

そこで、「ハッ」と目が覚める。ただし夢の中で。

そして、いつものごとく、史料とパソコンのにらめっこを始める。しつこいようだが、無論夢の中で。

すると、携帯のメールが鳴り響き、

”結局調べるのか!”

と、諦めめいた文意が記載されていた。(これも何故か日本語だった)



そこで、また僕は「ハッ」と目を覚ました。

今回は、本格的な目覚め。

まぁ、事なきを得たのだ。


で、その夢の話を、公文書館で何気なく話した。


「それはお祓いをしたほうがいい。史料に宿るピー(精霊・幽霊)だ」

とまじめに語るおばちゃん。

「いや、いや単なる夢さ」

と笑顔で答える僕。

しかし、おばちゃんは真剣だ。

確かに、博物館や公文書館といった歴史的な”モノ”を保管しているところには、霊が多いという。古きものに魂が宿るのだろう。

でも、ねぇ。


とはいえ、どうもおばちゃんの真顔さがひっかかっていた矢先に、こうして体調を崩したのだ。

冒頭で言う”呪い”とまではいかなくとも、なにかしら霊的なものもあるのかも、なんて少しは思ってみたりもするのである。

ということで、体調が整ったら、心をこめてタイ東北部の方角に向かって拝んでおこうと、寝床で思っているしだいである。



ちなみに医者には、胃腸炎にともなう発熱、と診断された。現代医学では霊力による体調不良は計り知れないものなのだ。

前日、深夜まで浴びるように酒を飲んでいたことはこの際、触れないでおきたい。



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