カオ・パンサーを無事に迎えたタイランド。

パンサー(雨安居)の期間中、お坊さんは寺に定住して修行にはげむと昨日、当ブログに書いた。



しかし、今日、イヤフォンを買うために、バンコク一の電脳ビル=パンティップ・プラザに赴いた際、たくさんのお坊さんを見かけた。

しかも、なぜか1~5Fの各階にて、その姿を見かけた。

お坊さんというのは、服装や髪型が同一で(まぁ、当然だが)、ある程度目立つが故に、もし、10人以上もいようものなら、なぜかビル全体が僧侶だらけのような錯覚に陥ってしまう。それだけ存在感があるのだ。



というわけで、ビル内で、様々なものを物色するお坊さんを見かけた。


DVDを物色するお坊さん。

何の内容かは見えなかったが、おそらく、仏教の説法に関するDVDだろう。

『24』とかではないはずだ。



パソコンを物色するお坊さん。

最近の仏教の説法は、パソコンを駆使したりするからだろう。

妙にPCに詳しいようで、店員に多くの質問を投げかけていた模様。言っておくが、値切っていたわけではない。勘違いしないでほしい。



音楽機器を物色するお坊さん。

これも、いろいろな説法や経を耳にするために、必須のアイテムだ。

音質にも、こだわりを持って当然である。



プリンターを物色するお坊さん。

在家の人びとへの印刷物の配布は、もはや常識だろう。

お坊さんが大きなプリンターの箱を持って寺に帰る姿など、想像する必要性はない。


など。


とまぁ、いずれも仏教に関係のあるものを選んでいるので、まったく問題はないのだろうが、でも、カオパンサーの翌日にいきなり・・・、という驚きは隠せなかった。

雨安居は、生物を踏み殺さないために、寺にこもって修行に励む、というのが決まりだったはずだからだ。



「昔と今はだいぶ違う。そんなに、厳格ではないのだ」

先生は、こう教えてくれた。



そうかぁ。僧侶の世界だって新たな時代に対応していかなくてはいけないんだ。

お坊さんは本当に日々、勉強に励む存在。つまり、新たな時代に即した勉強をしなくてはいけない!のだ。

なぁんてことを、思ったしだいである。



ちなみに、お坊さんの買い物シーンの写真はさすがに撮れなかった。

なんかお坊さんを撮るのは悪行な気がしたし、それに何より「こんなところを撮るな!」と一喝されそうな恐怖心があったからである。

僕は非常に気が小さいのである。



そして、余談ついでに、もう一つ。

イヤホンもなんだか種類が多すぎて、結局買わなかった。

僕は、優柔不断でもあるのだ。



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深夜11時過ぎ。

眠気眼でタイのニュースを眺めていると、バンコク・フワイクワーン近くの寺で、在家の人びとが僧侶に花を献納している様子が写し出された。

色とりどりの花を、僧侶に献納する様は美しく、微笑ましい姿である。


しかし、花を僧侶に布施するというのは、実は珍しい。

カオ・パンサーの日において、僧侶に寄進するのは、本来ならば日用品、特に蝋燭がメインだからだ。




そう、今日はカオ・パンサー。日本語でいうところの”入り安居”だ。

と、当たり前のようにいっても、関係者に僧侶でもいない限り、あまり馴染みのある言葉ではないかもしれないので、ここで簡単に説明を。


安居というのは、僧侶たちが、一定期間、寺にこもって修行に励むことをいう。タイでは、雨季の陰暦8月から11月の満月までの約3ヶ月間が、安居期間にあたる。

で、その修行期間の始まりの日が、入り安居、というわけだ。


では、なぜ僧侶は、安居をするのか?

以前、イサーンのとある僧侶に、こんな風に説明を受けたことがある。

”雨季になると、土中の生物や草木が成長する。それに田畑にも農作物が実りはじめる。そんな生物を踏み殺してはいけない。だから、乾期の間、諸国を遊行する僧侶も、雨季の期間だけは、外に出ることなく安居して、生物を殺生しないようにするんだ。”

おそらくブッタの教えに基づく説明。なかなか、面白い理屈である。



とまぁ、こんなわけで、僧侶は今日から3ヶ月間、寺にこもっての修行生活が始まる。

確かにいわれてみれば、雨季の間、ふらふらと歩いていたり、スコールにうたれてビチョビチョになっている僧侶の姿を見ないような気がしないでもない。



さて、安居の期間は、僧侶だけでなく、在家の人びとにとっても重要だ。ここぞとばかりに、僧侶や寺に布施をして徳を積む。

カオ・パンサーの前日には、人びとは、僧侶に供え物など献納するとともに、夜になると、皆でろうそくを手にして、寺の本堂の周りを時計回りに3周する。これによって、徳が積まれる。

また、農繁期で大変な時期であっても、食施を欠かさないために、村人をグループ分けして布施にあたる村もある。これも、徳を積むために他ならない。

とまぁ、例を挙げればきりがない。

「とにかく徳を!」というわけだ。



また、冒頭でも触れたが、カオ・パンサーにおいては、蝋燭の献納が重要だ。

カオ・パンサー前には、街中に、僧侶に献納するための、装飾の施された蝋燭が売られるようになる。人びとは、より華美な蝋燭を…、として熱心に選ぶのである。


この熱心な選びあいが、やがて競いあいにまで発展。蝋細工のコンテストともいえる、ろうそく祭りなんかもタイの各地で実施されている。イサーン・ウボンラーチャタニー県でのそれは、特に有名だ。




して。今年のカオ・パンサー。

僕は、ウボン県には行かなかったものの、バンコクで蝋燭を奉納する機会を得た。いや、正確に言えば、蝋燭の一部を奉納、だろうか。


場所は、マハータート寺。タマサート大学近くにある。



寺に着くと、テートマハーチャートの読経が行われていた。カオ・パンサーにおいてこの読経があるとは、少し意外。やはり、イサーンとは違う。

しばらくテートマハーチャートを拝聴し、来世での弥勒菩薩と出会うことの可能性を高めたあとに、蝋燭(の一部)奉納を行った。



蝋燭(の一部)奉納の方法はいたって簡単。

まずは、寄進箱にお布施をいれ、僧侶に自分の干支を告げる。僕の場合は羊(マメー)。



すると、羊の絵が描かれた蝋の塊と釘が渡される。



「裏に、自分の名前を書いて」

僕は、念のためタイ語と日本語の両方を記しておいた。神様がどちらでも判断できるようにと配慮したのだが、そんな自分がちょっとせこくて、悲しい。

名前を書き終えると、それは巨大なドラム缶の中に投入された。グツグツと熱されているそのドラム缶内で、僕の名前入り蝋はすぐさま溶けてなくなった。



で、ドラム缶内の蝋をひしゃくで掬い取り、2本の巨大蝋燭筒に流し込む。



これによって、自分の献納した蝋が、巨大蝋燭の一部分となった、のである。



というわけで、これで僕も一定度の徳を積んだ。

晴れ晴れした心で、カオ・パンサーを迎えることができた。

タマサート大学から眺めたチャオプラヤー川も、なんだかいつもより美しく見える。



世界は気の持ちようで、明るくも暗くも見えるのが常とはいえ、いささか単純に過ぎる、かもしれないが。



ちなみに、カオ・パンサーにおいて僧侶に花を献上する寺は、バンコク内では4寺。他県では1つしかないとのこと。それがどこかは、聞き取れなかった。

いかんせん眠気眼だったのだ。



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学校から、いつもどおり自転車で帰宅する途中、パヤタイの駅近くの踏み切りにつかまった。

日本で踏み切りにつかまることは日常だが、バンコクではそうはない。けっこう、珍しいことだ。

車は大渋滞。敷き詰められた車の間に、バイクが所狭しと入り込んでいる。皆、身動きできず、踏切が開くのを待っていた。

そして僕も、ご他聞にもれることなく、バイクとバイクに挟まれながら、踏切が開くのを待った。


ふと路上を見ると、黒い犬がお座りをして、僕を見ていた(気がする)。

かわいいな、と思い笑顔を送った。実は、僕は犬が好きなのだ。

しかし、犬は僕に対してなんのリアクションも起こさなかった。(なんだこの坊主?)とでも思ったのだろうか。



そんなこんなで、踏み切りが開いた。

待ちわびた、といわんばかりに、車やバイクが走り出す。無論、僕もそれに続く。

おもちゃがいっせいに動き出したようで、滑稽だ。


ふと気づくと、黒犬も僕の横を走りだしている。僕が彼を追い抜いても、ずっと後をついて来る。ちょっと半笑いだ。

なんとかわいらしい、と思いながら進み、踏み切り上に差し掛かると、そこでの夕日に目が奪われ、急ブレーキを踏んだ。(実際は、ブレーキが利かないから、足で止めた)



いやはや、美しい。

なんて思いながら、ボーと見ていると、あの黒犬も同じようなことを感じたのか、僕の横でじっと、夕日を見つめている。彼も、走りを中断して、夕日に見入ったようだ。



うーん。なかなか、情緒の分かる犬だ。

しかも彼は場所を変えて、いいアングルを探している。



すごい犬だ!

しばし、二人で夕日を見つめたのであった。



近所の身近な場所で、時折見せる違った表情が、僕は好きだ。

そして、犬も。


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今日、生まれて初めて、坊主にしてみた。

(いや、実際は2歳くらいのとき、坊主だったこともあるようだが、そこは言いっこなしだ)


きっかけは単純。

タイにCLASHというバンドがいるが、ボーカルの彼の坊主姿を見て、「かっこいいな」と思って、突発的にしてみたのである。

31才にして、初の坊主。

これから先、そうそう、坊主にする機会はないだろう。

「やるなら、今しかねぇ」(五郎)


反応は・・・

アパートの管理人:「もうすぐカーオパンサー(雨安居)。まさかリョウタ、出家?」

実母。メールにて。:、「自分の息子とは思えない。怖すぎる」


いやはや。明日以降の人々の反応が怖い。


それと、申し訳ないが坊主写真はアップしない。

僕の心情を察したかのように、坊主にした直後に降り始めた、バンコクの雨模様だけ、お届けしよう。



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バンコク中央郵便局。

オリエンタルホテルやシャングリラホテルといった高級ホテルが立ち並ぶ一角にあり、郵便局自体、なかなか趣き深い建物だ。



1920~1930年代前半に流行したアール・デコ様式ってやつだろう。そんな気がする。だが、確証はない。


しばし建物を見つめる。

建築に詳しくはないが、それでも何か感じさせる、圧倒的なものがあった。文章や写真でうまく伝えることができない、自分の能力がはがゆい。


して、建物の内部に入ってみる。

内部はきれいだ。


照明がサイドに並べて取り付けられていて、なんともいえない雰囲気がかもし出されている。


郵便受付は、まるで飛行場のカウンターのよう。


現代的である。


送り先を書くところには、ポストのオブジェが陳列されている。


郵便局らしさの演出だ。


おや、郵便局のグッズ。


こういった郵便局人形は、昔からある。きっとそれなりの需要があるのだろう。


おっ、こっちは郵便ポスト。


なかなか、かっこいい。

少し買ってみようかとも思ったが、新聞を取ってないこと、そしてバンコクにて手紙が来たことなどほとんどないことに気づき、すぐに止めた。


あれ、仏像?


郵便局だろうが、関係ない。タイ人は敬虔なる仏教徒。仏像を借りる(タイ人は仏像を買うとは言わない)場所は、人が集まるところに自然と生まれるのだ。


”ヨーロッパの古き建築様式の赴きある建物に、現代的な部分と、タイ的な部分が同居する独特な空間、それが中央郵便局である”と今後は人々に説明することにしようと考えながら郵便局で用事を早々に済ませて、学校へと戻った。

まぁ、無論、もし尋ねられれば、の話だが。


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「更新されている。これはついに…」

期待を胸に、僕は”カトマンズ・バンコク慕情”のブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season)を開いた。

「御礼」と題したその内容は、ブログの著者hikarunoさんの友人が、著者の他界を伝えるものであり、僕の期待を、大きく裏切るものだった。





カトマンズ・バンコク慕情のブログを知ったのは、今年の初めだった。

僕自身、その頃からブログを書き始めたため、いろいろな人のブログに目を通すようになったことがきっかけだ。


タイに関する様々なブログの題名が並ぶページを見ていて、「カトマンズ・バンコク慕情」のタイトルに惹かれ、すぐにクリックしたのを覚えている。

ブログ名に”慕情”という、僕の好きな言葉が使われていただけでなく、何か特別な発信を僕にしているような気がしたからだ。



ブログを読むと、著者の肺がんが発覚し、タイから東京に戻るときの様子が綴られていた。

淡々とした語り口で綴られたその文章に僕は惹かれ、氏のこれまでの記録を読んだ。

タイやネパールなどの色々なことを、面白い切り口で見る方だなというのが、第一印象だ。写真も素敵だ。

ひとつ、ひとつの投稿が、氏の博学をバックグラウンドにしたものに思えた。

世界各地の布を扱うというのも、面白みを感じた。氏の文化的な素地に惹かれた。



それからというもの、僕は氏のブログを読むことが日課となった。

病と闘う氏は、孤独を感じさせる文章ではあったが、それでも懸命に生きようという強い意志が表れていた。

僕は氏の文章を読んで、何度涙し、また、元気づけられたことだろう。

先日まで日本に一時帰国していて色々なことがあったけれども、氏のこれまでの記録を読んでは、「がんばらなくては」と奮起させられたものだ。

氏と同じようにタイやアジアに惹かれている僕は、氏のブログに多くの共感を覚えた。



そんな氏のブログが、5月の初め以来、更新が途絶えた。

多くの方々が、氏の身を案じるコメントを寄せた。

そんな中で、氏の友人が、氏の他界を思わせる文章をブログ上で発表された。



それでも、僕は心のどこかで期待していた。「タイに戻りました。明日からネパールです。」なんて感じで、ブログが更新されるのを。

しかし、ブログの更新は僕の期待通りにはならなかった。

残念で仕方ないが、今はただ、氏の冥福を祈るばかりだ。



それにしても、多くの方々の氏に対するコメントは心温まるものばかりだ。

氏の文章や生き方に魅了された人々。

みな、”カトマンズ・バンコク慕情”を忘れることはないだろうなぁ。きっと。



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僕が初めてタイに住むにあたり、最初に買出しをしたのが、ビッグC・チットロム店だった。

伊勢丹やセントラルワールドの目の前にある、大型のスーパーマーケットだ。

店で扱われるものは多岐にわたり、たとえば、食品や衣料品、家電、家具…など、基本的には何でもそろえることができた。



約5年前。

タイでのひとり暮らしに胸躍らせながら、ドンムアン空港に、深夜に到着。

フアランポーン駅近くのホテルに1泊し、次の日にはアパートを決めた。

そして、今は無きセンターワンにて携帯電話を購入したあとに、ビッグCに向かい、必要となるものをそろえた。

食器や洗剤、シャンプーなどの日用品から扇風機やポットなどの家電…。

ビッグCで買い歩いたルートを、5年経った今でも明確に覚えているから不思議だ。

やはり、相当な期待感と、適度な緊張感があったのだろう。


その後も、本当にビッグCにはお世話になった。


タイ語を学び始めたころは、ビッグC内のKFCで、よく単語を覚えた。

そして、両替を通じて知り合ったビッグC内の銀行の人々に、タイ語の復習をしてもらった。仕事中なのにいいのかな?といった疑問は、まぁ、おいておこう。

また、大晦日には、仲間たちとスーパーへ行って、鍋の食材や酒をたくさん買い込むことが、なぜか恒例行事になった。(3年連続でやったかな?)

とにかく、タイに住み始めた当初、ビッグCには何度足を運んだことか。

ビッグC=タイ在住前・中期の象徴、といった雰囲気が、僕の中にはあるのだ。


そんなビッグCも、今回、赤服の騒動の被害にあった。

内部の被害はさほどではないらしいが、それでも、入り口の焼け跡は痛々しい。



窓ガラスも割れている。


いやはや。なんか思い出の地がこんなことになると、やはり切ないものである。



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久しぶりのタイ。

とりあえず、両替のため、いつものごとくスーパーリッチへ向かう。両替といえば、ここだ。


バスから眺める伊勢丹は、赤シャツ騒動に巻き込まれたものの、無事再開されているとあって、特に以前と変わった様子はないように思えた。




しかし、セントラルワールドZENの被害はひどい。



看板でうまいこと隠されてはいるものの、ちらりと見える上階の焼け跡は生々しい。



なんでこんなことになったのか…



なんて考えていると雨が降りそうな空模様。と、思ったとたんの強風。

やばい!大雨だ。

半端ない雷が、鳴り響く。道端の犬たちも必死に避難。無論、僕も。

そして、停電。

参ったなと思いながら、喫茶店に逃げ込む。しばらく時間をつぶす。



でも、これは確か誰かも書いていたと記憶しているが、突然のスコール時にどこかに避難して、ボーと雨を眺めながら止むのを待つというのは、悪くない。

雨で商売を中断した、旅先の寅さんが、「いや、いや参ったね。おばちゃん、お茶いれてよ」なんて言いながら、ひょっこりと現れるような、そんな妙なムードがある。

ま、寅さんは東南アジアにはいないだろうけど。


して、しばらくすると、雨がひと段落したので、帰路につくが、アパート近所は思った以上の洪水。


川と化した道をじゃぶじゃぶと歩きながら、アパートに戻った。


久しぶりのタイ雨季の洗礼、であった。


して、余談だが、アパートに戻って洪水の道を撮ってみた。

日本ならありえない3人乗りのノーヘルバイク。川をぐんぐん進んでいた。




もし、転んだら・・・

きっと3人で爆笑だろう。

そんな気がしてならない。


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タイ・飛行場。

もう何回くらい、来たのだろう。

厳密に思い出すことが面倒くさくなるほど、訪れている。

それでもいまだに、着陸態勢に入ってから眼前に広がるタイの夜景を見ると、心がわくわくする。成田の薄暗い風景とはまったく逆だ。



”ドーン”

飛行機の車輪が、無事にタイの地に滑り込んだ。

僕はホッと胸をなでおろす。飛行機が基本的に怖いのだ。


飛行機はゆっくりと飛行場を走行し、停車位置へと向かう。

そして、到着すると同時に、乗客はいっせいにベルトをはずし、起立。荷物を上から取り出す。

無論、僕もご他聞にもれることなく、そうする。


ドアーが開くまでが、待ち遠しい。

きっとみな、同じような気持ちだろう。ウズウズ、だ。


ドアーが開いた(ようだ)。乗客が、ぞろぞろと動き出す。

このとき、”譲り合い”に関して、一定度の国民性をうかがい知ることができる。

今回はユナイテッドを利用したので、欧米系の人々が多く、比較的、譲り合いが多く見られ、「サンキュー」の言葉が飛びかう。

中華系の飛行機だと、こうはいかないだろう。(偏見?)



まぁ、それはさておき、僕は、CAたちの見送りを受けつつ、飛行機を後にした。

言い忘れていたが、このときには、僕の鼻はぐずぐずだ。

なぜなら僕はアレルギー体質で、飛行機のような換気のあまりよくない、埃っぽいところにいると鼻水が止まらなくなるのだ。くしゃみを連発し、鼻水をぐずつかせている僕を見る、CAの目は哀れみに近い。

まぁ、これはまったくの余談だが…。



そして、なぜか飛行機を降りたとたんに革ジャンを羽織り始めた日本人風だが国籍不明の男の後ろに続いて、イミグレへ向かった。



途中にあった飛行場の電光掲示板は、なぜか心を躍らせる。



特に問題なく、イミグレや税関を抜けると、もうそこは、れっきとしたタイランド。

独特の熱気と匂いに包まれる。

ドンムアン空港から、スワナプーム空港に移転してから、タイの玄関口の雰囲気は大きく変わってしまったとはいえ、それでも、独特な匂いや熱気は失われていない。


青い光がまぶしい。

あぁ・・・タイに戻ってきたんだなぁ。


タクシーにてアパートへと向かったが、車窓から見える景色は以前となんら変わりなく、平和だった。

ほんの少し前まで赤服の騒動で内乱状態にあったようには、とても思えない。


アパート付近も同様。

僕のアパート付近は、激戦区のひとつで、数人の犠牲者が出ているが、そんな様子は見受けられなかった。

僕が大好きなタイ人たちが、いつものように、笑顔でのんびり暮らしているように見えた。

のんびりと、ビールを飲んでいる男連中がたくさんいる。

どの顔も見たことのある連中ばかり。バイタクや近所の麺屋のおっさんなどなど。

みな、無事でなにより!


そして、帰宅。

部屋で呑むリオビールの旨みも、なんら変わっちゃいなかった。




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突然だが、僕の、タイで一番好きなミュージシャンは、Body Slamだ。

はじめて「อกหัก(オックハーク:失恋、の意)」を聞いたときからのファン。まぁ、別に熱血ではないけど。



コンサートも結構行った。熱血ではないから、数回だけど。

ボーカルのトゥーン君と話をしたは、この前もブログで紹介したとおりだ。とても感じのいい人だった。



で、日本で、この歌を聴きながら、原付やチャリンコに乗っていると、僕はついつい大きな声で歌ってしまう。

人が道端を歩いているときは、自粛するようにはしているが、それでも偶然にも僕の歌声が聞こえてしまった人は、まったくもって意味不明なことだろう。

ましてや、次の通りの歌詞であることを、僕の歌声から想像できる道端の人は、よほど感受性に富んだ人だろう。



     อกหัก 失恋


ความรัก ต้องพังลงไป
愛は 崩れ去り

อนาคต ที่สุดก็ผ่านพ้นไป
未来は 行ってしまった

เหลือเพียงหัวใจที่ยับเยิน
傷ついた心だけが残ってしまった

บาดแผล ลึกเกินเยียวยา
傷は深くて 癒えることなどない

ตื่นจากฝัน เพราะถูกปลุกด้วยน้ำตา
夢から目が覚めた それは涙のせい

ทุรนทุราย หัวใจเหนื่อยล้า
悩みに悩み 心はすっかり疲れ果ててしまった


※ภาวนาให้ใจที่เจ็บจงเข้มแข็ง
※傷ついた心よ強くなれ

แม้มันจะไร้เรี่ยวแรง จะฝืนลุกยืนให้ไหว
たとえ今は力なくても きっと立ち直ってみせるさ

คนคนเดียวมันไม่มีสิทธิ์ขนาดนั้น ไม่ทำให้ช้ำถึงตาย
たったひとりの人間には 死ぬほど傷つける権利なんぞないのだ

ยังไงต้องรับให้ได้
受け入れてみせるさ

※※ชีวิตแค่โดนทำร้าย
※※命が少し傷つけられただけだ

แต่ที่สุดมันต้องไม่โดนทำลาย
決して溶けてなくなったわけじゃないんだ

แค่วันนี้หัวใจสลาย
ただ今は心が砕けているにすぎない

เตือนตัวเองว่าถึงยังไงฉันยังต้องอยู่
自分を戒めるんだ どんなことがあっても僕は生きていくと

ความรักลวงหลอกมันก็แค่เจ็บปวด
偽りの愛でただ痛むだけ

ไม่มีค่า ให้มันทำลายชีวิตไม่ได
価値なんかない 命を溶かすことなんてできやしないのさ


กรีดแขน ไม่ช่วยอะไร
手首を切ったところで なんの助けにもならない

ยิ่งตอกย้ำ ยิ่งกรีดยิ่งทำร้ายใจ
切れば切るだけ 心が傷つくだけ

ยิ่งทำเท่าไหร่ก็ยิ่งปวดร้าว
やればやるだけ 痛むだけ


※※

ต้องไม่ตาย ชีวิตยังมีพรุ่งนี้เสมอ
死ぬはずなんかない 人生、いつだって明日がある

ชีวิตยังมีพรุ่งนี้เสมอ
人生、いつだって明日がある




道端の人は、僕が手首をどうこう…って言ってるとは思いもよらないはずだ。

それにしても、この曲が収録されたアルバム「Save My Life」は爆発的に売れたなぁ。
タイの男女比。

それは住んでいて感じることだが、明らかに女性が多い。

BTS(スカイトレイン)等に乗っていても、周りは女性だらけ…なんてことは多々ある。

で、このCMでも、実際にそう言われている。





というか、このCMはいったい何のCMだよ!、って思うかもしれない。

このCMは、”TARO”という魚を原料としたサキイカのようなおつまみお菓子のCMだ。



CMの概要は次の通り。



(男女が並んでいる)


ナレータ(以下N):現在、タイは女性が男性に比べて多い。

(男女で分かれる)


N:男性の60%は…、結婚済み。

(結婚済み男性はその場を去る)


N:残りの一部は…、仕事バカ。

(仕事バカは、その場を去る)


N:残りは…カッコいい男性達。

(音楽が流れ、女性達メロメロ…しかし、オカマであることが判明、残念。オカマはその場を去る)


N:残りは…、自分の体に気を使っていない男達。


N:”ということで、TAROのような体にいい食べ物を!”



といった概要だ。




第二部も、ほとんど一緒。


N:男性の60%は…、結婚済み。

N:残りの20%は…、サッカー馬鹿。

N:残りは…、カッコいい男達。

(ニヤリと笑う歯無し…)

N:で、残りは…、体に全く気を使っていない男達。

N:”ということで、体にいいTAROを”


と、まぁこんな感じ。

自分の体型と結婚をリンクさせつつ、”TAROはあくまでも体に優しいお菓子”というイメージを広告しているようだ。

たしかにタイ人は体型を凄く気にするし。



ちなみに、TARO。

体にいいかどうかは知らないが、これをレンジやフライパンでこんがりと焼くと、美味しい。

ま、あくまでも余談だが。


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