タイ。

今、全国的に水不足らしい。雨季に入ったのにも関わらず、だ。

きっと僕のお世話になっているイサーン(タイ東北部)は、ひどい水不足に悩まされていることだろう。

イサーン(や、ラオス)で盛大に行われるブン・バンファイ(通称ロケット祭り)の効果はなかったのだろうか…。


うん?ロケット祭り。

そう。それは、あの伝説の番組(一部で)”WORLD DOWNTOWN ワールド・ダウンタウン”でチャーリー・ウィラポンが紹介した、あの祭りだ。



(あと、”イッテQ”で、宮川大輔さんもこのロケット祭りに参加していたかな…)


この、最高に面白いワールドダウンタウンの映像でも分かるように、ロケット祭りは、竹製のロケットを空高くまで打ち上げるという祭りだ。どのロケットが一番長く飛んでいるかを競い合う。

滞空時間の長いロケットにいたっては、5分以上も落下してこないほど、はるか上空に飛んでいくというから、驚きである。


では、なぜロケット祭りが、雨乞い儀礼としての意味合いをもつのだろうか。その思想を紹介しよう。


そもそも、イサーン地方は(1)慢性的に雨量が不足し、(2)土地に高低差が少なくて灌漑が困難で、(3)土壌が砂状で、栄養分が少ない、といった環境下にあり、生産活動を行うには非常に厳しい地域だ。

イサーンの農民は、厳しい環境下で、天水に依存しながら農業を行うわけで、雨は生活にダイレクトに影響する最も重要なものなのだ。

だから、雨季の始まりである、陰暦6月には、ロケット祭りが実施され、今年の雨季の豊富な雨量が願われるのである。


では、なぜそれがロケットの打ち上げ、という形態をとるのか。

それは、イサーンやラオスの人々は、天空にパヤーティエンという男神がいると考えており、その男神にロケットを奉納するためなのである。

男神がもしロケットを気に入れば、彼は恵みの雨をもたらすと信じているのだ。

そして、男神の落とした雨は、彼の精液を象徴し、その精液を受けた大地の女神メートラニーは、大地の生命-稲-を誕生させるのである。

つまり、イサーンの人々は、パヤーティエンからの恵みの雨によって、その年の豊作と豊穣を得ることができると考えているわけである。


こうした伝統的な信仰に基づいて、イサーンやラオスの人々は、毎年必ずロケット祭りを実施する。(まぁ、とはいえ、近年は、コンテスト、あるいは娯楽としての意味合いが非常に強くなってきているが…)

大人も子供も、ロケットが空高く飛んでいくのを、のどかにワイワイと眺めるのである。



ただ、問題もある。

それは、ワールドダウンタウンでもあるように、この祭りは、ロケットがどこに落下するかわからないといった危険がつきまとうのだ。

通常、ロケットは落下時にパラシュートが開くようになっていて安全なのだが、時折、パラシュートが開かないこともあるのだ。

ロケット祭りの季節になると、必ずといっていいほど、どこかの県で死傷者が出るのである。


で、実は、僕も数年前にヤソートン県でのロケット祭りに参加したのだが、その際、目と鼻の先にロケットが落ちたことがあった。

パラシュートが開かず猛烈な勢いで竹製のロケットが自分の方に落下してくるときはさすがに驚いたものである。


そのとき、実況中継していたタイ人。

彼はマイクで絶叫。

「危ない、危ない!気をつけろ!よけろ!」

しかし幸いにも誰にもあたらなかったことを確認すると

「ハハハ。よーし、大丈夫。次行くぞ、次!」

と、異常な切り替えしの早さを見せつけた。

で、村人も爆笑。


うーん。楽しければいいという、彼らの思想が前面にでているわけだなぁ。



ちなみに、ヤソートンでのロケット祭りには、日本人グループも参加する。

1997年に結成された秩父吉田ヤソトン会がそれである。

というのも、埼玉県秩父市では東北タイのロケット祭りと同様、竹製のロケットを空高く打ち上げる「龍勢祭り」が実施されているからだ。

儀礼の目的は異なるが、ロケットを打ち上げるという共通性に基づいて秩父吉田ヤソトン会は、毎年、ロケット祭りに参加するのである。



しかし、それにしても、ウィラポンといえば、つばをすぐ吐く男として著名だが、ロケット祭りに向かう途中の車中でつばを外に吐き出すシーンは笑えるわ…


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鎌倉散策のあと、江ノ島へと足を伸ばしたが、そこで見た夕焼けに浮かぶ富士の姿。


いやはや、さすがだ。

古から日本人は富士山に神霊を感じ、畏れ敬ったが、そんな富士信仰の歴史もうなずける。

均整のとれた富士山は、大昔から、日本人を魅了してやまないわけだ。



古来においては、富士は、その麓から人々から拝まれていた。

しかし、江戸時代中期以降、富士山に登る人が増えはじめ、富士講(共通の信仰に支えられ、富士への登拝を目的とした集団)が数多く組織された。

江戸時代末期には、300以上の富士講があった、などといわれている。

ものすごい数だ。



では、富士信仰とは、どんなものか?

それは、弥勒信仰と深く結びついている。

富士の山頂は弥勒の世、つまり来世へとつながる場として考えられたのだ。


だから、富士に登拝することは当時の人々にとって、この世と来世を結ぶ場へと参拝に行くという意味で、重要な思想的意味を持っていたのだ。

いうならば、富士の山に登り、参拝することは、心身の”再生”へと結実したわけである。



で、そんな思想は、今も根本にあるように思う。

近年、富士登山のツアーは結構なブームであり、その動機としては、漠然とした心身の再生がある、ように思う。

なんらかの”きっかけ”として富士に登る者は多いのである(と思う)。

富士に登れば、人生観が変わる、なんて感じかな。



今も昔も、富士の人をひきつける力や神秘性・霊性は凄いってことだ。

そんなことを、夕闇迫る江ノ島で思ったのだった。



余談だが、以前タイに向かう途中、機長がこんなアナウンスをした。

「皆様、よろしかったら右側の窓より下をご覧下さい。富士の山頂を綺麗に見ることができます…」


僕はその美しさに夢中でシャッターを切ったが、この写真をタイ人たちも見て、感動していた。

タイ人は、日本の富士山の写真や映像を見て、それを非常に好むが、やはり上から眺める富士の光景を見たことは無かったのだろう。



「頂上はどうなっているんだ?」

「あの世へとつながっている、なんて考えられてもいたね。昔は」

「そうか。なるほどね」


かなり抽象的に答えたのに、どうやらタイの人々は理解したらしい。

富士のもつ神秘性は国境を選ばないし、また、そういった神性を敏感に感じ入るタイ人の思想を垣間みたのだった。


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今回の鎌倉散策で、一番雰囲気が良かったのは、佐助稲荷。

参拝客が一切いなく、”趣”面では、先日紹介した長谷寺を大きく凌いだ。

参堂の山道には鳥居が並び、京都の伏見稲荷を思い起こさせる。


境内は狭く、それがまた逆に良かった。


暑い鎌倉でほっと一息である。




して、稲荷さんといえば無論、狐信仰。


かつて、狐信仰に関して、タイ人の友人にこんなことを聞かれた。

「なぜ日本人は、ジンジョーク(จิ้งจอก)を信仰しているの?」

「ジンジョークって何?」

「英語で言うFox」

そう言って描いてくれた絵は、何故かすごい笑顔の狐だった。


そうか。タイには狐を信仰する慣習がない。だから、エンブリー『日本の村-須恵村』を読んでいた友人は、日本の狐信仰を不思議に思ったのだろう。というか、そもそもタイに狐がいるのかどうか…。


僕は友人に、

「もともとは、狐は、田畑を荒らすねずみを捕獲するので、豊穣の神としてのシンボルになったんじゃないかな。今でも、豊穣や商売繁盛の神だし。ただ、妖怪としての狐や、いたずらをする狐なんかのイメージもある。なぜそうなったか、詳しいことは分からないなぁ・・・」

「タイで言う、ピー信仰(精霊信仰)に近い?」

「うーん。どうだろう。確かに、タイのピーは、いい精霊もいれば、いたずらをするピー、妖怪としてのピーなどもいるしね。でも、狐信仰は、ピー信仰とはちょっと異なるかなぁ。うまく説明できないけど」

こうして、僕は友人に何の益にならない答えを返したのだった。



日本で生まれ育った僕としては、漠然とながら、狐の不思議な象徴性を感じることができるのだが、それを異文化の人に伝えるのは、やはり難しい。

”文化の翻訳”は、困難なのだ。

だから、僕もいまだに、タイ人の言うピーをうまく理解できずにいるのであろう。

ま、そんな、理解に苦しむ部分のすり合わせ、が面白いところでもあるけどね。



ちなみに、タイでは、小川未明が1918年から1941年に発表した18編の童話を英語訳した”The Tipsy Star and Other Tales”(Yoshiko Akiyama,The Hokuseidou Press,Tokyo,1957)のタイ語訳版が出版されている。

『ローク・コーン・デッグ・チャート・ ディーン・アティット・ウタイ』(太陽の国からの子どもの世界)である。

小川未明の童話は、日本の文化や慣習をうまくとらえ、それが反映されている。そして、本の中では、狐のいたずらの話などが語られている。

しかし、タイ語版では、見事なまでに狐信仰が、ピー信仰に置き換えられている。

しかも、ピーの中でもかなりたちの悪い悪霊 -ピー・プライ- に翻訳されているので、”狐のいたずら”の狡猾的なユーモアが欠けてしまっている。



文化的・思想的背景を考慮した”文化の翻訳”はやはり難しいものだ…




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先日、タイの人が奉納した絵馬を見かけた。そこで、僕はある発見をしてしまった。今日はそのことを記しておきたい。



そもそもタイ人による絵馬を見かけた場所は、鎌倉・長谷寺。

境内に咲き誇るアジサイが有名で、すっかり梅雨入りしたこのシーズンにはもってこいの寺だ。

僕は、梅雨が基本的に嫌いだが、タイの雨季とは違った趣を感じさせるのに、アジサイは十分である。


ということで、趣を求めて、鎌倉をめぐったのだが、アジサイの長谷寺は参拝客の多いこと、多いこと。



アトラクション?


そんな感じで長蛇の列。

アジサイ鑑賞のために列をなす。確かにアジサイは綺麗だったけど、うーん。なんかね。


趣とはちょっと違う感じだったかな。


ま、綺麗だったけど。



で、そんな長谷寺で見かけた、タイの人が奉納した絵馬。それを見ていて、ふっと思いついてしまったのだ。タイ版の絵馬ともいえる存在を。


そもそも絵馬というのは、神の乗り物としての馬・神馬を神社に奉納していたことがその発端である。

でも馬を奉納するにしても、その値段は高いし、貰った神社側も世話するのが大変…、ということで、しだいに時代が経つとともに、馬の絵が描かれた絵馬が奉納されるようになったのだ。

つまり、絵馬というのは、神の乗り物を神に奉納する、というところにその原型があるわけだが、では、タイにおいて神が乗るものとは何であろうか?

そう。

無論、象だ。

以前このブログでも紹介した、かなりのご利益が期待できる、エラワン・プームという祠



このエラワンとは、象のことで、プラ・イン(帝釈天)の乗り物である。


とすれば、かつてタイでは、象を奉納していたのだろうか?

そして、今では象の絵が描かれた”絵象”を奉納するか?

なんて思ってみれば、そういえばあるではないか。


”絵象”ではなく、”象像”が。

エラワン・プームの祠には、信者から奉納された、沢山の象の像がいつだって並んでいるのだ。


そうか。国は違えど、考えることは一緒。

「これは、絵馬と”象像”の意外な構造的共通性かも!?」

なんとも、もの凄い発見をしてしまったわけだ。エラワンの象像を絵馬と結びつけた人は、いまだいないだろう。

まぁ、こんな風に思っている僕は、やっぱり単純である。

でも、これからはエラワンの祠に行って象像を見たら、思うし、口にするだろう。

「日本でいう絵馬だな。あれは」と。

独り言なら、許される。


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タイの大人気バンドで、僕も大好きなBody Slamのニューアルバムが発売されたようだ。

で、そのアルバムから新曲第3弾として、「キットホートคิดฮอด(恋しい)」が出された。



新曲第1弾「クラームคราม(藍色)」第2弾「クワームラックความรัก(愛)」に続くこのキットホートは、ボディースラムと、ルークトゥン・モーラム歌手シリポン・アムパイポーンがコラボをしている。

ルークトゥン・モーラムとは、タイ東北部イサーン地方の謡である。

演歌に近い。

で、その大ベテランのシリポンが参加しているため、話題になっているようだ。

日本で言えば、EXILEが美空ひばりとコラボ、みたいなもんだろうか。

流行るかどうかは別として、僕は嫌いではない。

イサーン大好きだし、シリポンのハスキーボイスも良い。

ただ、シリポンの謡は完全にイサーン語のため、あまり意味がわからんが。

今度、イサーンの人に聞いてみることとしよう。


ちなみに、Body Slamのボーカル、トゥーン君と僕は、少しだけ話をしたことがある。

コンサートを終えて会場から出てきた裸の彼に話しかけ、二人で肩を組んで一緒に写真も撮ったのだ。

彼は非常に物腰柔らかく、イイ人だった。

そして、舞い上がった僕は、さっそく二人で肩を組んだ写真を見たが、どうやら撮影したガードマンが失敗した模様で、全く撮れていなかった。

あれは、なんだか切なかった…


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久しぶりにタイの生命保険CMを取り上げたい。いつも心温まるタイ生命保険のCM。

今回はチウおじいさん編だ。



86歳のチウおじいさん。

おじいさんは、朝起きるとすぐに、水筒と楽器を持って、20キロ以上の道のりを歩く。

毎日、同じ場所へと向かう。

これだけを続けて30年以上が過ぎた。

おじいさんが向かう先。

それは、死別した奥さんのお墓がある丘だ。


かつて、2人はよくこの丘で時を過ごした。

若かりし頃のおじいさんは、奥さんが大好きな音楽を、演奏して聞かせてあげていた。

かつておじいさんは、約束した。

あなたの好きな曲を一生聞かせ続ける、と。

そんな奥さんは、先に死んでしまった。

それでもおじいさんは、長い道のりを毎日歩く。奥さんのお墓の前で、音楽を奏でる。

かつての2人を思いながら…



”あなたは、愛する人を日々思いやること、十分に足りてますか?”としてCMは締めくくられるが、いやはやなんとも心温まるなぁ。

今日もきっとおじいさんは、いつものように素敵な音楽を奥さんのために奏でているだろう。

そんな気がしてならない。





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先日、タイ人の写真家が集まったパーティーに参加した。


「Thai Photography NOW」と題した写真展のオープニングとして開催されたパーティーだ。

写真展は、銀座のニコンサロンなどテーマごとに3箇所のギャラリーで開催され、タイ写真界で活躍する13人の写真家の作品が展示されている。(詳しくは、http://www.psj.or.jp/gekkan/schedule/kikaku2010-2.html)


友人とニコンサロンに到着すると、もうパーティも終盤に差し掛かっていたこともあって、参加者は一様に赤い顔をしていた。

”チャーンビール”が置かれていて、それを皆飲んでいたわけだ。


ということで、僕らもニンマリしながら、さっそく一本。

うーん。やっぱり美味しい。


また、不思議なもので、パーティーの行われた部屋も、タイで感じるにおいで充満している。

そのため、日本に一時帰国してからそんなに時がたっていないというのに、なんだか無性にタイが懐かしくなった。

タイで過ごす日々が、ものすごい過去のこと、あるいは夢の中のことのように感じた。

この感覚は、日本に一時帰国しているとき、いつも持つ。

”タイに住む自分”というものの現実味が急速に薄れるのだ。

やはりタイに住んでいることは、自分にとって極めて特別で、ありがたいことなんだろう。タイに魅了される一つの理由かもしれない。


さて、パーティーでは多くの写真家がいたようだが、その中で少し話をしたのは、ガムトーン・パオワッタナースック氏(kamthorn Paowattanasuk)だ。

氏は相当にベロベロに酔いつつも、僕に仏教寺院の写真の紹介や、そこを取り続ける意味などを熱く話してくださった。

また、最近の一連の赤服と政府の争いを心から嘆き、「同じタイ人なのに…争いあってはいけない」と語った。ベロベロに酔ってたが、きちんとしたことを言っていた。

パンフレットによると、氏の写真は、きらびやかな仏教寺院を被写体とし、これら寺院が信仰の中心としてのものではなく、客寄せとしての寺院になっているのではないか、という問題提起をしているそうだ。気になるので、見に行こうかと思う。


氏の写真は、新宿の近代ビル3Fで、「Thai Photography NPW Part-Ⅲ」のブースに展示されている。

11日(金)までなので、急がなくちゃ。

ちなみに同ブースでは、スラット・オーサダーヌクロ氏(Surat Osathanugrah)の写真も展示されているようだ。氏の写真は、パンフレットで見る限り雰囲気があって、僕は好きだ。


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グアムから日本への帰国路にて、2つの心温まるシーンに出くわした。



グアムでは、初めてのダイビングや、”ボーっと海眺め”を満喫し、非常に楽しんだわけだが、最後にそんなシーンに出くわしたため、旅はより良い思い出となった。



心温まるシーン。

一つ目は、グアム人の親切さに触れたことだ。


飛行機出発の1時間前、僕はグアム空港にいた。そこで、ふと気づく。

日本の免税店で買ったタバコ数カートンを、ホテルの引き出しに忘れたことに。

あきらめようかと思ったが、一応ホテルに電話してみる。

が、飛行場にある公衆電話すべてが使えない。警備員のおっちゃんに聞いても、「すべて壊れている」という答え。(いまだになぜかは分からない)

そこで、レンタカーやホテルの手配などを総合的に請け負う受付係りにいた、ぐっさんばりのお兄さんに聞いてみた。

すると彼が親切なこと、親切なこと。

事情を解したぐっさんは、すぐにホテルに電話。そして、ホテルの運転手の知り合いが空港内にいることを確認すると、その人を呼んで事情を話した。

フライトまであと50分ほど。

ホテルの運転手は、ホテルまでいったん引き返し、間に合うならばタバコを持ってここまでくるという。とにかく、間に合う間に合わないにせよ、ぐっさんに連絡するから、それまでここで待ってていてくれ、とのこと。

ここまでくると、たかがタバコだからいいよ、という気持ちが深まり、そのことを伝えた。

しかし、二人はいやタバコは大事だとした。いいから、とにかく待ってろ、と。

して、飛行場で待つこと20分。ぐっさんが僕を呼んだ。タバコがあったから、今から来るそうだ、と。

で、その言葉通り、それから5分もしないうちに、さっきとは別の運転手がタバコを持ってやってきた。

どうやら、さっきの運転手はすぐにホテルに連絡をとって、別の人間に持ってこさせたようだった。

なんて、迅速で親切な対応なんだろうと感動してしまった。グアムの人々の親切心に触れたのだった。

無論彼らにチップを渡した。心からの数ドルだ。



そして次の心温まることは、飛行機内。

僕の恐怖心を乗せたJALの飛行機は無事フライトを終えて、成田に滑り込んだ。

ホッとしていると、スチュワーデスさんの放送が入った。

「皆さま、当機は成田空港に到着いたしました・・・・・・」

とお決まりのアナウンスのあとに、スチュワーデスさんは

「なお、私事ではございますが、30年以上空の上にて勤務してまいりましたが、本日を持ちまして最後のフライトとなります・・・」

と続けた。

そして、スチュワーデスさんは、JALの再建に向けて皆が一丸となって努力していること、また、30年以上の勤務を支えてくれた皆に感謝の意を述べて、これからもJALをよろしくお願いしますと、涙ながらに締めくくったのだった。

それを聞いていた客は、いっせいに拍手をおくった。もちろん僕もだ。

なんか心温まるシーンだった。泣きそうになった。

こんな場面に出くわすのは、人生に一度あるかないだろう。共有できてよかった。


そして、飛行機の出口。

涙をポロポロ流しながら皆にお礼を述べるスチュワーデスさんの姿があった。

僕もスチュワーデスさんに「お疲れ様でした」の一言を告げて、日本の地を踏んだ。

いいグアム旅行だった。



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グアムのスーパー。

欧米系のスーパーは、スケールがでかくて、妙に好きだ。

タイのビッグCやカルフール、ロータスなどの外資系のスーパーもそうだが、洗剤がウワーっと陳列されていたり、色とりどりの果物や野菜が並んでいるのを見ると、なぜかテンションがあがる。




すべてがビッグな商品を、ビッグな欧米人が買い込む。

で、ガラガラとショッピングカートを引きながら、駐車場へと向かい、これまたビッグな車に詰め込んで、バカ広い道路を走って家路へと急ぐ。

そんなイメージが、やはりアメリカにはつきまとう。



タイだと、どうだろう。

うーん。交通渋滞がひどいかな。

あとは、トゥクトゥク。トゥクトゥクに大量の荷物を乗せたおばちゃんの姿は、アメリカにはないだろう。

ま、当然か。


それにしても、果物や野菜売り場にぶら下がる秤が、かわいらしかった。


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ちょっとグアムのことを置いておいて、タイのくだらなくて面白いCMの紹介をしよう。

”CHEERS”というビールのCMだ。



3つのシーンで構成されているこのCM。

最初のシーンは、忙しい仕事の最中に、明日が休日であることに気づき、皆で歓喜し、抱き合う。

2つ目のシーンは、車を止めるスペースがでたことに、これまた皆で歓喜し、抱き合う。

そして3つ目は、1人分しか入ってないと思われていたカニが、底にもう1人分あったことに気づき、これまた皆で歓喜し、抱き合う。


という、なんともくだらなくて、でも面白いCMだ。

いずれも、"To Every Little Good Thing In Life(生活の中の全ての良きことのために)"というコンセプトのもとで、「CHEERS(乾杯)」と締めくくられる。


このCMのセンスに脱帽だ。

「くだらねぇ~」と、つい爆笑してしまった。

タイのCMは、泣かせるものも沢山あるが、こんなくだらなくて笑えるCMも数多いのである。

うーん。それにしても、このCM。本当に、くだらな面白い。


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 グアムの先住民、チャモロ人。

「チャモロ」とは、“高貴”を意味するとか。

チャモロ人の詳らかな歴史はいまだ明らかになっていないようだが、東南アジア系の人々がフィリピン、インドネシアを経由して渡ってきたのではないか、とされているらしい。


そんなチャモロに伝わる伝統料理を、グアム初日に食した。

食した店は、”メスクラ”といって、チャモロ料理を少しおしゃれにアレンジした感じとして有名とか。


概観や内装は確かにおしゃれぇ。


そもそも、チャモロ料理は、スペインやアメリカ、日本、その他東南アジアなどのいろいろな国の影響をうけた料理だそう。

ということで、期待を抱きながらバドワイザーを呑む。


うん。やはり、薄いね。

シンハービールやリオビール、日本のビールのようなコクは感じられなかった。

まぁ、アメリカンだからねぇとして、期待を胸に、料理を待つ。


きた、きた。料理。


まずは、一口。

うん。美味しい。普通に。

ただ、今回のグアム旅行全体を通して感じたことだが、アメリカ圏の料理は全て”想像のつく味”だ。

普通に美味しいけど、予想通りの味なのだ。

このへんは、ヨーロッパやアジアの料理とは違うだろう。やはり、アメリカ圏の食文化はまだ歴史が浅いと思わざる得なかった。


で、やたらと腹一杯になったあと店を後にし、チャモロビレッジにて、ぽっちゃりとした女性たちの踊りを観覧。

”タッタタランタラン!「ホー!”」”みたいな感じで、女の子や男の子たちが踊っていた。




舞台近くでは、ボートの練習風景が。

いいもんだなぁなどと思いながら、しばしそれを眺める。


そして、ホテルでは、ご他聞にもれず酒をガン呑みしたのだった。

どこにいっても酒をはずすことはないのである。(アル中ではない)


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