はじめてのグアム。

やはり、タイを基準にグアムを見ることになるだろう。



まずは、成田で自分の乗る飛行機に無事の到着を祈る。


いつまで経っても、飛行機が怖いのだ。

とはいえ、僕は、飛行機がいつ出発したのか気づかないほど、すぐに爆睡。


で、しばらく眠ったあと、映画『東京タワー』を泣きながら見るも、クライマックス前にグアムに到着した。

やはり、「タイに行くよりも近くて、かなり楽だなぁ」と、涙をぬぐいながら思った。



税関では、指紋をとられた。これはタイにはない。

最初に4本指をセンサーに押し当てたところ、税関のおっちゃんが、親指を立てた。

僕はてっきりOKサインかと思い、おっちゃんに「Yeah!」などと気取って言いながら、僕も親指を立ててサインを出した。

「いや、親指の指紋をね・・・」

流暢な日本語で返された。

少し恥をかいた。


で、空港の印象だが、小さくて、静か。


ドンムアンのような喧騒や、スワナプームのようなデカさはなかった。


して、一歩外を出れば、南国ムード満載。


期待は否応なく高まる。


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先日、親友が結婚式を挙げた。

この結婚式は1年前からの予約。

「このときには絶対に帰国しろ!」と言われていた。

僕は「当たり前だろう。というか、今日はおごるから呑め呑め!」と高らかに語り、そして最後には会計で足りなくなって、不足分を出してもらってから、あっという間の1年だった。

(ちなみに店(ワタミ)を出た後、ラーメンをおごってもらっている。呑んだ後のラーメンはやはり格別だ)




あいつとは、小学校入学式の日に、たまたま席が隣だったことがきっかけの友人だ。小学校の頃は毎日のように外で遊びまわっていた。

そして、あいつは大学が京都で、京都に目が無い僕は頻繁に通った。京都でチャリンコを乗り回し、そして、飲み明かした日々が懐かしい。

その後も親しい中は続き、今でもタイから日本に帰ってきたときは、月に2~3回、酒を飲む。

2人で年に1~2回は、旅行にも行く。

まぁ、気心の知れた仲だ。

(おかげで、ホモではないかと真剣に疑われもしたが)



そんな彼が結婚した。

一言で言えば、楽しい素敵な一日だった。

夫婦を象徴するような、過剰な演出のない、さっぱりとした式だった。

披露宴で、新郎新婦が退出する音楽が、「オー、アフリカ!」ってやつだから、その雰囲気が伺えるだろう。

あいつの親父さんの挨拶も、いい話なのに、和気藹々という感じだった。

奥さんもあいつにぴったりの素敵な人だ。”バージンロードを爆笑しながら歩く新婦”というだけで、あいつにぴったりで、素敵な人であることが分かる。

本当に2人、お似合いだった。

おめでとう。お幸せに。




さてさて、タイに関するブログだから、関連付けよう。

そもそも、僕がタイに住んでいるのは、あいつの影響による。

10年前、あいつの兄(写真家)が、小林紀晴『ASIAN JAPANESE』を片手に、我々に「一度タイに行ったほうがいいぞ。熱い国だ」と語った居酒屋の様子は忘れがたい。


そんな兄の言葉を受けて、大学時代は、2人でよくタイに行った。

初めてタイに行ったときは、あいつが先にタイ入りしていて、後で僕が合流。

ドンムアン空港で座って待っていたあいつの半笑いの表情はきっと一生忘れないだろう。

で、お決まりのごとく、カオサン通りに行って、汚い安宿で、ムーピン(豚の串焼き)を片手に、SPYワインを呑んで、だらだらと過ごした。

スコールをボーと眺めながらラッシーを飲んだり、アユタヤーでチャオプラヤー川を眺めながらビールを飲んだり…。

何を話したかはいちいち覚えちゃいないが、タイで過ごした時間は、輝かしい。




あれから10年。あいつは結婚し、立派になっている。

僕はといえば… うーん。悲しいもんだ。


まぁ、いずれにしても、今は、2人の末永い幸せを祈るばかりだ。

それと、また、旅に行けるときを楽しみにしている。



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カンヌ最高賞のパルムドール。

タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督作品「ブンミーおじさん」が受賞した。

タイ映画の最高賞は初めてらしい。

死期迫るブンミおじさんの家に、猿人となった息子と死んだはずの妻が戻ってくるというストーリーとか。静かな流れで、死に迫る作品らしい。

なんか、映像を見るかぎり、芸術性が強そうな作品だ。

暗いニュースばかり続いていたタイで久しぶりに喜ばしいことかな。

ちなみに、この映画がタイ国内で放映されるかどうかはアピチャーポン監督しだい。ただし、放映するにしてもタイ政府の映画検閲を通さねばならない。監督は、検閲政策をかねてから強く批判しているらしい。


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UDD(通称赤服)とタイ政府の対立で大混乱に陥っているタイ・バンコク。

赤服の中で暴徒と化した一部の過激な連中が、放火騒ぎを起こしている。


アヌサワリー(戦勝記念塔)の目の前に、センターワンというショッピングモールがあるが、それも火事で燃えてしまった。

センターワンは、飲食店や洋服・雑貨を扱うお店、CDショップに携帯電話屋など、さまざまな店がひしめいていた。

そのセンターワンが無くなってしまったのだ。





どうやら、若者グループが店内の品物を略奪したあと、火を放ったらしい。

タイのメディアによると、10億バーツの損害と1000人以上の失業が予想されるという。

なんてことだろう。

なんでこんな心無いことをするのだろうか。


センターワンは、何かと思い出深い。

タイに住み始めた初日、携帯電話を買った場所がセンターワンだった。

初めてタイの携帯電話を手にした僕は、チャージのやり方も分からなくて苦労したものだ。


また、センターワンではよく食事をした。

タイ料理に飽きると、マックやピザ屋などでよく食べたものだ。

1階で売られていたたこ焼きも良く買って、日本の味を懐かしんだ。


タイに住み始めて4~5年が経つが、センターワンに関わる思い出は何かと多い。

センターワンの中に特にこれといった目当てのものがあるわけでもないのに、ブラブラと中を歩くのも好きだった。


センターワン全焼のニュースは、本当に僕を寂しい気持ちにさせる。


          <センターワン前のマック。ソンクラーン(タイ正月)時>


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ランナム通りでの映像。

1人の男性は撃たれてしまったようで、血を流し倒れている。

ほかの人々は、兵隊からの狙撃を恐れつつ、ゆっくりと安全地域へ非難を試みているようだ。

その後どうなったのか、この映像の続きは分からない。

しかし、なんとも悲しい映像である。

武器を持たない市民に発砲する兵隊。

なんだかなぁ…


それと、

http://www.boston.com/bigpicture/2010/05/protests_turn_deadly_in_thaila.html?camp=localsearch:on:twit:bigpic

の写真の数々は、現場の雰囲気を如実に伝える。(※ 一部、衝撃的な写真があるので注意)


写真18は、僕のアパートのすぐ近くだが、こんな雰囲気、これまで見たことが無い。

写真20・22は、映像の中で血を流して倒れていた方のようだ。

写真39の黒煙をあげるバンコクの町並み。本当に、せつない限り。

まったくもって、先行き不透明。


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”昔のように思いあうタイ人が見たい”

そう訴えるこの歌。

このブログ上で、たびたび紹介しているが、何度見ても、やっぱりぐっと胸に迫る。



特に、1:45あたりから、泣きながら訴えるおばちゃん。

「私たちは同じタイ人。喧嘩をしないで。殺し合いをしないで…」


そして、そこから展開される歌と映像には、いつも涙させられる。

国王のもとで、皆で一つになったタイ人の、あの感動的場面はいつになったら見られるのだろうか。



このビデオクリップに対して数多くのコメントがYou Tube上で寄せられている。

”大人たちよ、子供たちに対して恥ずかしくないのだろうか。聞こえるだろうか?子供たちの、タイ人同士思いあう姿が見たい、という歌声が”

”見た後、涙が止まらない”

”早く思いあう昔の姿を見たい。国王のために”

”思いあうタイ人の姿が、本当に、本当に見たい……本当に…”


そう、多くの人がこう思っているのだ。

争いごとは、もうたくさん。心底、うんざりしているのだ。


僕にとってタイは、第二の故郷。早く、平和の方向に向かって欲しい。



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ランナム通りラーチャプラロップ通りの交差する地点での、住民と兵士の衝突映像。



ラーチャプラロップにて兵隊が銃を撃ちながら行進しているようで、それに対し、市民は軽い抵抗をしながら、ランナム通りの奥へと逃げている。

とびかう銃声や、市民の声。救急車の音。

完全なる内戦の様相。

ランナム通りはいつもは平和でゆったりとしたところ。

通り沿いには、サンティパープ公園(平和公園)や、免税店King Powerなんてのもある。


そんな通りが、いまや戦場。

悲しい限りだ。


それにしても、ビデオを撮影している人。危ないな、これは。

先日も、ランナム通りすぐ近くにある高層のコンドミニアムで、ベランダにいた住民(RS歌手Gumpun)が流れ弾に当たって怪我をしたらしいし…



ちなみに、このランナムとラーチャプラロップの交差地点にあるESSO。

夜になると、魚を焼く屋台がでて(結構美味)、よく晩飯を食うもんですが、さすがに今はね…。


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ラーチャプラロップ通りと、アヌサワリー(ビクトリーモニュメント:戦勝記念塔)付近の映像。

現場の緊張が伺える。


見慣れた街角(映像の地域はいずれも僕のアパートから歩いて3分位)では、所々、火がついている。

内戦状態の異様な雰囲気の中で、人々はバリケードを築いている。

そして、狙撃や爆発を恐れ、逃げ惑いパニックになる場面も。

まったくもって、恐ろしいかぎり…


でも印象的なのは、6:46あたりから始まる一般民衆の声。

”我々は同胞だ 兵隊よ 殺さないでくれ”などと書かれたプラカードをつくるタイ人たちの内の、1人の女性は語る。

「兵士たちは果たして(同じ)タイ人なのか?…アピシット首相は人間なのか?…」


そしてアヌサワリー前では、

「我々は普通の国民だ!…武器も無い!…」

などと語られるとともに、僧侶たちが読経。

切に平和が訴えられている。



もうすぐ政府が赤服に対して勧告した退去命令の時間期限を迎える(午後3時。日本時間午後5時)。

激しい衝突はもう見たくはない。



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ิิ僕が居を構えるランナム通り。

そこもいまや激戦区。

映像は、けが人を皆で救出するシーン。

最後の救急車のシーンのバックにある、@BANGKOKは、結構よく行く飲み屋…



なんか、涙が出そうになる。

こんな無駄な争いして、何になるんだろうか。


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タイ・バンコク。

自体は深刻化し、死者もかなりの数に上っている。いつになったら事態は収束するのか、まったくもって不透明だ。

そんななか、近所に住む友人が、兵士がらみの怖い体験をしたという。

友人はランナム通りに住む。

仕事を終えた友人は、BTSが止まっていたため、タクシーにて岐路に向かった。

しかし、ペップリー通りから、ラーチャプラロップ通り(日本の伊勢丹がある通り)に差し掛かるとき、道路は封鎖の状態。仕方なく、歩く羽目に。

で、兵隊がうようよいる異様な空間を、てくてく歩いていると、後ろから1人の兵隊に「物陰に隠れろ!」と指示を受ける。

近くを歩いていたタイ人と物陰に隠れる友人。

鉄砲を所持した兵隊がしばらく様子を伺う。

3人に緊張が走る。そして、兵士が

「いまだ!行け!」

友人とタイ人は小走りで、ワーと通りを駆け抜けたという。

で、瓦礫やら火がついたいつもとは様相を呈するラーチャプラロップ通りを抜けて、かなりの時間をかけて、なんとか家路に着いたらしい。

友人いわく。

「ラーチャプラロップ通りは緊迫した状態なのに、ランナムに入ったとたん、いつもと同じ日常の光景が広がり、ギャップが凄かった。行きつけの日本食屋も普通にやっているし。それにしても、身の危険をはじめて感じた・・・」


僕はこの話を聞いて、不謹慎ながら少し半笑いになってしまった。

なんか、物陰に身を潜めて、そのあと、兵隊のゴーサインを受けて、ワーと小走りで走り抜ける日本人とタイ人の姿を想像すると・・・

ま、こんな風に半笑いができるのも、友人に何事も無かったから、だけどね。

早く、平和を!

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虎の橋=ジャルーン・ラット橋31のすぐ近くにチャオプラヤー川が流れる。

チャオプラヤー川船着場のおばちゃん、犬のコンビを尻目に少し歩く。


と、大きな市場を目にすることができる。

パーク・クローン・タラートだ。



パーク・クローンは河口、タラートは市場を意味するので、河口市場といえよう。


ここは、野菜や果物、花などの卸売が有名で、川沿いの立地条件も手伝って、大いに賑わう市場だ。

対岸のトンブリーから、大量の商品が舟で運ばれてきて、そして、ここから市内へ商品が出されるわけだ。


しかし、僕が行った夕方。どうも閑散としている。



時間帯ミスかなぁと思いながら、市場の人にちょいと尋ねてみる。

すると、「こんな時間にきても物はない。夜中から朝方にかけて来い」と言われてしまった。

やはり、そうか…。残念。

とはいえ、商品はちらほらあったし、それに、独特の匂いを感じれたので、まぁ、よしとしよう。


次に来るは、日の出前だな。

あ、でもそういえば、ここのすぐ近く。花の卸売りがあるのだが、そこには夜来たことがあったっけ。


バレンタイン前の花の卸売りはそれは活気あふれて、綺麗、綺麗。






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タイ・バンコク。

極めて大変なことになっている。


タクシン派赤服”反独裁民主戦線”(UDD)
の指導者カティア氏(通称セーデーン)が狙撃された。

狙撃直後の映像がCNNより公開されているが、はっきりいって衝撃的だ。

<映像:http://edition.cnn.com/2010/WORLD/asiapcf/05/13/thailand.anti-government.protests/index.html?hpt=T1> 


現場の混乱する様子が伺えよう。

現在、セーデーン氏は病院にて治療を受けているという。


アピシット首相は、11月の総選挙案を撤回しちゃったし、15県を新たに非常事態宣言下に置いたし…

全くもって解決の糸口がみえない。

争うの、そろそろやめよぜ、って心から思う。

”昔のように思いあう、タイ人が見たい”と歌うこの映像を見ると、涙が出てくる。





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虎の彫刻が並ぶ変わった橋。

”サパーン・ジャルーン・ラット31”という。

サパーンは橋。ジャルーンは繁栄。ラットは王権。ということで、”王の繁栄橋31”と直訳されようか。

以前紹介したバンコクの勝どき橋ともいえる開閉式のホック橋から、チャオプラヤー川の方面に向かったところに架かっている。


ジャルーン・ラット橋31は、1911年、ラーマ6世王によって作られた。

6世王は、1893~1902年までの長期にわたってイギリスに留学し、父親で5世王のチュラロンコンと同じように、西欧文明の摂取に積極的だった。ので、この橋も西洋的要素が取り入れられたデザインとなっている。


でも、この橋で目を惹くのは、やっぱり虎の彫刻。


ずらーりと、虎が並んでいる。

これは、ラーマ6世の政治を象徴している。

というのも、ラーマ6世王は、1911年5月、国王直属の擬似的軍隊スア・パー(野虎隊)を組織したのだ。

ラーマ6世王は、姓制度採用、祝祭日の整備、義務教育制度の導入などの文化政策を推進し、西洋と肩を並べるための文化基盤づくりに大きく貢献した。

そんな中で、国王直属部隊スア・パーを組織したわけだが、これがすこぶる評判悪かった。

いかんせん、かなりの金がかかったのだ。

方々から大いなる反感を買い、1912年には王制打倒の反乱事件が起きたりもした。

そんなラーマ6世王の歴史を思い起こさせる、ジャルーン・ラット31橋。

すぐ近くには雄大なチャオプラター川がゆったりと流れている。


余談だが、スア・パーの子供部隊として、1911年7月に”ルーク・スア”が組織された。これは、少年部隊、いわゆるボーイスカウトだ。

イギリス、アメリカについで世界で3番目にできたボーイスカウトである。


それと、もう一つ。

ジャルーン・ラット橋31の31の意味。

これは、この橋が作られたときに、ラーマ6世王が31歳だったからだという。

で、実は、もうすぐ僕もその年を迎える。

あと数日。


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佐々木俊尚氏『電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)』を読んだ。”個と共同体”という視点から感想を書いておこうと思う。

この本は、電子書籍の発生と普及がどういった影響を与えるかに迫った作品である。

氏は、電子ブックの進む方向性を次のようにまとめられている。

1、キンドルやiPadのような電子ブックを読むに適したタブレットが普及する
2、タブレット上で本を購入、読むためのプラットホームが出現する
3、プラットホームが確立されることで、作家のプロ・アマの境が無くなり、セルフパブリッシングが促進。本がフラット化される
4、電子本と読者によって、新たなマッチングモデルの世界が構築される

うん。きっとそんな流れだろう。


ただ、それはさておき、僕が一番興味を持ったのは、”本の「アンビエント」化”のくだり。

アンビエントとは、「私たちを取り巻いて、あたり一面にただよっているような状態」のことらしい。

つまり本のアンビエント化とは、言葉通りに言えば、本がいつでもどこでも購入できて読める状態になるということだ。

では、そのことはどういう方向性をもつか。

アンビエント化されると、新しかろうが古かろうが、ありとあらゆる本が、フラットに蓄積されるので、今後、これまでのような出版社といった権威的な立場が意味をなさなくなる。

必要となるのは、書き手が自身でソーシャルメディアを駆使して情報を発信すること。それによって、自分の共同性を構築することが必要となるのだ。

その共同性のなかでは、本は、多角的に位置づけられ、メタ化される。

そして、未来、その共同体空間で、新たな文化が幕を開ける・・・

それを、氏はこう言って締めくくる。

”ゾクゾクするほど刺激的な未来”




僕が面白いと感じたのは、本が共同性を織り成すのではなく、個人が織り成した共同性の中に本が位置づけられるという、氏の未来像だ。

たとえば、「16~18世紀におけるアンシャン・レジームの時代に、印刷文書が拡大し続ける流通が、どのように社会的結合の形態を変えて、新たな思想を生み出し、権力との関係性を変えたか」(シャルチエ『読書の文化史―テクスト・書物・読解
』)という問題意識に基づいて読書について文化史の視点から研究したシャルチエ。

彼の議論は基本的に、本というコンテクストのもつ特性が、新たな共同性や思想を創出して、それが権力構造に関わっていくというもの。基本的に本に視点を置く歴史学研究では、こうした論調が多い。

しかし、佐々木氏の論調は、個人があらゆるソーシャルネットワークを駆使して共同性を積極的に構築し、そこに本が位置づけられるというもの。

ここには、個人と共同性との関係構造に大きな違いがある。

後者の未来では、個人がいくつものバリエーションに富んだ共同性を自ら作り出し、そのなかでは、本や映像などさまざまなものを駆使して、自己を比較的自由に演出することができるのだ。

しかも、共同体内では本や映像などに関してのコミュニケーションが存在し、決してこれまでのような一方通行性ではない。

個が共同性を織り成し、それが交錯するところで発生する社会、というのはどんなものか現時点ではイメージしにくいが、きっと個人としては”手ごたえ”みたいなものは実感しやすいだろうし、それにワクワクもするだろう。




唯一つ大変だなこれは、ということがある。

それは、”本物”であることが要求される社会だな、ということだ。

つまりこれまで権威やなんだに守られたものは意味を成しにくくなるので、自己を演出するそれ相当の能力が必要となるとともに、それらを構成する本や映像などの諸々は本物としての質の高さが求められるということだ。

それに時間軸に沿った評価もあまり意味を成さなくなる。

たとえば、”古典文学はいい。現代文学は堕落した”みたいな偏見に満ちた評価は全く意味を成さない。歴史が古かろうが、新しかろうが、いいものは、いいのだ。




本が電子化されると、本は極めて「情報」に特化された存在になると僕は考える。

なぜなら、本がデジタル化されると、欲しい情報にダイレクトに到達できて”つまみ食い”ができるようになるため、これまでのような一定度の意図を持ったジャンルや価値観の中にカテゴリー化されることはなくなるからだ。

本はあくまでも「情報」を得るために特化されるという性格が、大いに高まるわけだ。

しかも、その「情報」は先にも述べたように、良質で”本物”なものであることが求められるようになる。

とするならば、「情報」としての性格を帯びた書籍を、共同性の需要にこたえつつ、どのような見せ方で、構築された共同性の中に発信していくか。

そんな力量が問われる時代が到来するといえよう。

きっと、大変な時代だろうなぁ。

でも、僕もワクワクするほうだ。

こんなことを佐々木氏の本で感じたしだい、である。





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いやぁ~。久しぶりだぁ。タイの新聞一面が赤服関連じゃないなんて。

そう。5月5日は、プミポン国王の戴冠60周年記念日。

ということで数々の式典が行われ、6日の新聞一面はその話題。

なんかいいやねぇ。平和で。

しかも記念日当日、タイ人の間で「栄光あれ!」が、かなりリツイートされていた。ツイッター上でも国王はかなり称えられたのだ。


で、国王を信奉し、称えるタイの人々を見ると、やはり2006年の国王即位60周年記念を思い出す。

あのころは、街中が黄色い服を着た(プミポン国王の生まれたのが月曜で、月曜日は黄色の曜日とされるため)タイの人々であふれかえっていた。

そして、さまざまな式典が行われ、それを見て僕は感激したものだ。あのときのタイ人の結束力みたいなものは、本当に圧巻だった。




そういえば、あの頃、60周年記念グッズが沢山売られていたけど(たとえばiPodや60バーツ紙幣)、今年は出ないのかなぁ?

というか、僕は60バーツ紙幣買ったはずなのに、どこいっちゃったのだろ。探しても全然見つからない…。切ない。


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