血をばら撒いたタクシン派赤服。その宗教的意味とは。



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16日。ついに、タクシン派赤服は、血をばら撒くという手段にうってでた。(写真はコチラを参照)

僕も、民主党本部前にて、赤服が血をばら撒くシーンをテレビで見たが、大量の血を目の当たりにしてクラクラしながらも、その宗教的儀式のようなムードが強く印象に残った。


血液の入った容器を、赤服の何人かが大事そうに抱え、仏像とともに運ぶ。運び方も、非常に儀式めいたものだ。

血をばら撒く位置が決められると、そこで白い服を着た、儀礼の執行者らしき者が、仏教的なお参りの作法を行った。

そして、一連の作法を行った直後、彼は皆が見守る前で、血をばら撒く行為をはじめた。

そのとき、赤服の盛り上がりは絶頂に達した。

「アピシット出て行け!アピシット出て行け!・・・」

赤服の連呼はしばらく止まなかった。



このようになかなか衝撃的な赤服の血撒き行為だったのだが、ところで、今回赤服は、なぜ血を撒いているのだろうか。

そもそも、血を撒くという行為にどういった意味があるのだろうか。


血というのは、人間の活力の源を象徴し、太古の時代から信仰の中心をなしてきた。

たとえば、病人に血を飲ませてみたり、新築の家に血を塗ってみたり、あるいは大地に血を撒いて豊穣を祈ったり・・・といった行為は、すべて、血のもつ活力の象徴性に基づいたものだ。

そして、血は、単に活力を与えることを象徴するだけでなく、人と人とを結びつける”絆”をも象徴する。

たとえば、血判状。これは、誓いの文章に署名、血判を押したものをいうが、そこで血が使われるのは、その文書の誓いの強固さを示すためだ。

また、結婚の際に新郎新婦が互いの血を飲んだり、あるいは任侠の世界で、親分子分間や兄弟分の間で盃を交わすときなんかにも、血が酒に混ぜられて飲まれたりするが、これも同様。

血を飲むことによって、魂が宿り活力が増すとともに、絆が深まるという効果が期待されているだ。


つまり、血は、活力や絆の象徴。

このように考えると、今回の赤服の血にまつわる一連の行為は、赤服たちの絆と活力の象徴である血を使ってアピシット打倒を目指すという、いわば宗教的(アニミズムかな)な思想を根底とした行為であることが伺えるのだ。単に血をばら撒くのではなく、その行為が非常に宗教めいた儀式っぽさがともなったのも、そのためといえよう。

まぁ、血の色が、赤服を象徴するっていうことももちろんあるけどねぇ。



今日17日。

これを書いている昼前現在も、赤服は彼らの絆とパワーを象徴する血を抱えて、アピシット首相倒に向けてスクンビット通りを突き進んでいる。向かう先はアピシット首相宅だ。

まったくもって、これから、どうなることやら・・・・



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