朝、早くに目が覚めたので、軽く散歩。

朝はまだそんなに暑くなく、心地いい風が吹いていた。

ブラブラと歩く。


近所ながら、改めて見るとバンコクには大きな家が多い。

大きな家は、決まって門が高い。

立派な門に新聞がはさまっていた。



なんか一日の始まりっぽくて、軽くワクワクする。

全くもって単純だ。



タイには、マンゴーが多いが、ある家にはマンゴーの実が一つだけなっている木があった。



なぜ1つだけなのか。ほかの実は食べられちゃったのだろうか。

マンゴー好きの僕は気になるところだ。



この落書きは妙に知的というか、なんというか。なんで、こんなに計算しているのだろうか。



単なる、暇つぶしで書かれたものなのだろうか。不明だ。



近所の顔見知りのバイクタクシーが写真を撮りあっていた。

僕も撮っていいかと尋ねたら、快くOKしてくれるとともに、仲間たちが集まる、集まる。

こういうノリが、タイ人っぽくてかわいらしい。



なんか集合写真になった。バイタクの運ちゃんの集合写真は珍しい、かも。

でも、なんかかっこいい。

彼らは日々、バンコクを疾走する。



朝の20分散歩。いいもんだ。



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バンコクの旧市街は、路地がとても多い。

路地の雰囲気は独特で、表通りの喧騒とは全く異なる。

そんなギャップが大好きな僕は、街散策をしているなかで、「こんな細い道が・・・」と思って足を踏み入れる瞬間が一番ワクワクすると言っても、決して過言ではない。



路地に入ると、タイの人びとの日常の時間が静かに流れている。

果物売りが狭い路地を「ポンラマ~イ(果物)」と宣伝しながら売り歩いていたり、新聞を読みながらそのまま寝ちゃってるおっちゃんがいたり、と色々だ。

皆、それぞれに生きている。

おじいちゃんと孫の姿を見かけた。



微笑ましい。

孫が大きくなったときには、”この路地で、よくおじいちゃんと遊んだなぁ”なんて思い出したりするのかもしれない。

路地が”記憶の場”って、なんかいいなぁ。路地の中に差し込む優しい光が、記憶とリンクする感じかな?

ま、分からないけど。


で、ふと、気づいた。

そういえば僕には、記憶の場としての路地ってないなぁ。

ま、だからなんだって話だけど、自分の中で変な決心を。

”記憶がないなら、つくっちゃえ”

ということで、いつか、バンコクの街の路地歩きを制覇して、色々な思い出で満たしたいものだ。



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これまで、タクシン派赤服の幹部は、アピシット首相と直接協議を2回行ってきたが、結局落としどころが見出せない結果となり、3回目の直接協議に関しては、行わない方針らしい。

で、4月3日に、またもや大規模行動を展開するとのことだ。

いやはや。どうなることやら。



して、今日、セミナーがあって赤服集会所付近に行った僕は、ついでに赤服たちが集まっている周辺を覗いてみた。



う~ん。以前よりもかなり人数が減り、閑散としている。



以前は赤服がウジャウジャといたのになぁ。

でも、テントのほうに目をやると、皆ござに座って、ワイワイと話していたり、まったりとしている様子が伺える。



結構和んじゃってるね。

唐辛子まで干しちゃって。





やはりタイの人びとにとって、唐辛子は必須であり、それはデモだろうとなんだろうと変わらないってことか。

食はすべての基本、ってわけかな。


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今日のバンコクは、どうも天気がすっきりしなかった。

というか、最近そんな天候が続いている。

なんか妙に涼しいし。タイでは、4月が年間で一番暑い時期のはずなのに、まったくもって不思議な天候続きだ。


で、さっきは、雷が光った。夜の雷は久々だ。

夜空に光る雷を、部屋から眺める。

実は、僕はこれが好きだ。



これは、今なんとなく思い出したのだが、もしかしたら親の影響かもしれない。

僕が子供の頃、ご他聞にもれずに雷を怖がっていたとき、母親が「いやー、綺麗だ」と言っていた気がする。

それ以降、雷=室内から見れば綺麗という思いを抱くなったようになった、ような気がする。

これは、もしかしたら母親にしてみたら、別にそんなに雷の光が好きではないのだが、教育的なニュアンスをもって、雷は綺麗だと僕に教えることで、雷を必要以上に怖がらせないようにしたのかもしれない。

考えすぎか?

後日、直接聞いてみよう。

でも思うに、こんな感じで、親や身近な人から受ける影響というのは、やはり大きい。

これまた母親の影響で、僕は今でも虫に異常な恐怖心を持つが、タイ東北部イサーンに行くと、そんな恐怖心をもつ者に会ったことはいまだない。

しかも、タイ東北部の人びとは虫を揚げて食べもする。

好物だと言う人も多いから、凄い。揚げたタガメなんかを食う様は、正直、怖すぎる。

でも、一番驚いたのは、人間を噛む赤蟻(しかもかなり痛い)の巨大版が寄ってきて、僕が怖がって逃げた際に、イサーンのおっちゃんがそれを取って生食いしたときだ。

おっちゃんは言った。

「甘くて美味しい」

もし、おっちゃんが親だったなら、僕も今頃、そうなっていたってことだろう。


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ルアン通りをチャリで疾走中、あんまり見たことないものを見かけて、急ブレーキをかけた。

そう、どうやら路上でドラムセットを売っているのだ。



珍しい光景だ。ドラムって、路上で販売するようなジャンルのものなのだろうか。

それに、試し打ちする奴とかいるのだろうか。 ”ドンドコ、ガッシャーン”って。

うーん。できれば、そんな現場に遭遇したいものだ。ちょっと悲しい感じもするけど。


で、その先に、牛乳瓶の底バリのメガネをかけたおっちゃんが、フライドチキンを売っていた。夕飯のおかずとして僕は、1つ10バーツ(約28円)のフライドチキンを2つ注文。



すると、おっちゃん。

「日本人?韓国人?」

「日本人ですよ」

すると、おっちゃん。

「僕日本に住んでいました。新宿知ってますか?」

と片言の日本語で語り始めた。

そりゃ知ってるだろ、という思いを顔に出さないように、知っている旨を伝えると彼は、かつて大久保に住んでいたのだと言った。

「だから、ホラ」



あ~、なるほど。確かに、店の名前は”ไก่ทอด(ガイ・トート:鳥のから揚げ) OKUBO”と記載されている。

かつての住まいを店の名前につけているおっちゃんは、10年ほど日本にいたと言う。

いったい、どういった歴史を歩んで、今ここでフライドチキンを売っているのだろうか。

気になるところではあったが、聞くことなく、店をあとにした。

はやいところ、チキンを口に入れたかったのだ。



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死体門跡とバンランプー・オンアン水路を越えるとすぐに、ボリパット通りにぶつかる。

これを左に折れて北上すれば、死体を焼却する場として有名だったサケット寺だ。



ボリパット通りに入ると、木のいい香りが。

この通りにはなぜか、木の扉を作っている店が並んでいるのだ。



やはり木の匂いは落ちつく。



扉作りの店並みを見ながら少し歩くと、サケット寺境内にあるプーカオ・トーン(黄金の山)の入り口が見えてくる。

山といっても、プーカオ・トーンは人口の丘で、高さは100mほど。それでも、バンコクは海抜0m地域なので、高い建物がなかった昔においては、それはそれは、堂々たるものだったろう。

それに、頂上には、黄金に輝く仏塔がこれまた堂々と聳え立っている。これがまた、なかなか素晴らしい。



ということで、当然のごとく黄金の山に登ってみることに。






階段は整備され、鐘も綺麗に置かれているのだが、驚かされるのは、斜面にびっしりとあるお墓の数々だ。特に秩序も無く、乱雑に設けられている、ようにみえる。



ある意味、墓の山ということで、夜はちと、歩きにくいだろうなぁ。



5分~10分ほどで、頂上に着いた。

頂上には黄金の仏塔が聳え、人びとはそれを拝んでいた。仏塔信仰は上座部仏教のタイでは珍しいだろう。



ちなみに、プーカオ・トーンはアユタヤのプーカオ・トーン寺を真似て建立され、それにかかった歳月は50年。現在建立から約200年が経っているということで、なかなか歴史が深いのだ。



頂上からの眺めは、なんとも絶景。バンコクの街が一望できる。



風も心地いい。



さて、そんな黄金の山を降りると、サケット寺がある。

死体焼却の場として有名で、コレラが流行したときには、ここに死体が山積みにされたというが、今はそんな恐ろしい様子をしのぶことはできない。

ま、いいことだけど。



このサケット寺に死体が置かれた理由。

それは、サケット寺の近くにあるスタット寺(サオチンチャー横)の地獄絵に描かれている鬼よりも、サケット寺のそれのほうが、死体を食べ漁ることができるからだという。(図説―バンコク歴史散歩 (都市散歩シリーズ)


鬼が食ってくれるから死体をこっちに置く。うーん。合理的というか、なんというか。

でも僕が思うに、それはやっぱり建前。

死体といういわば穢れの象徴は、城外に出す必要があったのではなかろうか。死体を城外に出すための専用の門=死体門があるくらいだし。

だから、城壁内部にあるスタット寺で、焼却することは避けたかったというのが、本音だろう。



ま、いずれにしても、今の境内では、子供たちが遊びまわり、犬は寝ている。まったくもって平和だ。

日が暮れ始めたサケット寺からの、黄金の山に聳える仏塔の眺めはとても雰囲気があった。



ここに沢山の死体が積まれたことは、やっぱり想像しにくい。






参考
図説―バンコク歴史散歩 (都市散歩シリーズ)



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<死体門からサオチンチャーを望む>



”プラトゥ・ピー”。

プラトゥとは扉や門を、ピーはお化けや幽霊、精霊なんかを意味する。

ということでプラトゥ・ピーは、”幽霊門”とか”死体門”とでも訳せようか。

そんな恐ろしい異名をもった門が、かつてバンコクにあった。

なぜ、そんな嫌なネーミングで呼ばれていたか。

それは、バンコクの旧市街に城壁があったころ、城内の死体を場外に運び出すのはこの門に限られていたことに由来している。

死体が通り抜ける門、ということで”死体門”なのだ。

だからその昔、コレラが流行して城内で多数の死者が出たときなんぞは、この門は悪い意味で、頻繁に利用されたという。

死体の行き先は、門を越えてすぐ左手にあるサケット寺。この寺は、当時火葬場として有名で、コレラのときには死体の山が境内に山積みにされたとか。

なんとも、恐ろしい・・・・


そんな、死体門に向かった。



鳥居のような形で有名なサオチンチャー(実はブランコの柱。詳細はコチラ)があるパムルン・ムアン通りを東へと進んで向かった。



パムルン・ムアン通りは、王宮からまっすぐ東に伸び、ラーマ1世通り、スクンピッド通りと名前を変えながら、果てはカンボジアの国境にまで行きつく。旧バンコクと外部を結ぶ重要な道なのだ。

そんな道を東に進んでいくと、まず目に付くのが仏具屋の数々だ。





建物は古めなものが多い。二階建ての屋根の高さも綺麗にそろっている。



これは、近代化を推し進めたラーマ5世が、シンガポールを手本にして、街の景観を整えたという歴史を今に伝えるものだ。家並みを統一することによって、近代化のシンボルを示したのである。

さて、そのまま東に進んでいくと、マハーチャイ道路の交差点に差し掛かる。

何の変哲も無い交差点。だが実はこの交差点付近がかつて死体門のあった地点である。

そう、今は何も残ってはいないのだ。

かつて、死体門という恐ろしい名前の門があったことを知っている人は、その周辺に住んでいる者か、あるいは相当な想像力を持った者に限られているのである。



ふと見ると、かつて死体門があったところに流れるバンランプーオンアン水路のほとりに恐ろしく古そうな家がある。

これはチャンスと、尋ねてみたが、誰もいなかった。

残念。


水路をこえた先には、遺体を焼却するサケット寺がある。

死体門とこの水路を越えて、当時、幾人もの人びとがあの世へと送られていった。



水路の水はとても汚いが、その分、花の綺麗さが際立つ。


参考
図説―バンコク歴史散歩 (都市散歩シリーズ)


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