谷恒生のバンコク楽宮ホテル (徳間文庫)
が、古本屋で100円で売られていた。こんな名著が100円かぁ・・・と速攻で購入。



やはり、おもしろい本だった。

1970~80年代のバンコク・チャイナタウンで過ごす日本人貧乏旅行者・バックパッカーたちの視点から、タイやその周辺諸国の話題が語られ、興味深い。

周辺諸国の戦争、カンボジアとの国境難民問題、薬物、売春など、ドロドロとした話題も多い。主人公が、タイーカンボジアの国境付近の草むらにて、タイ人兵士から暴行・殺害、放置された少女の遺体を見つめるシーンなんかは、悲惨な戦争の現実として強く印象に残る。

当時の異常な社会情勢の中で浮き彫りにされる人間のリアルな部分が描かれているといえよう。

とはいえ、この物語。扱うテーマは時に重いものを含むものの、基本的には海外旅行にでた若者たちの人間ドラマであり、おもしろく読める。

今でこそ、沢木耕太郎や藤原新也、小林紀晴などの著作によって、バックパックを背負っての個人旅行は一般的になった。しかし、バンコク楽宮ホテル出版当時は、日本にバックパッカーという言葉があったかどうかも不明なくらいだ。その意味でこの本は、一般的になる前のバックパッカーの生態をうかがい知ることができる。

そして、思うことは、昔も今も、バックパッカーが考えることにあまり大差はないなぁということである。何かを求めて外に出てみるという本質的な感情は今も昔も変わらないのだ。

とはいえ、バックパッカーを取り巻く環境や、その環境下での旅のスタイルは、大分変わったことも事実だ。

なんせタイのバックパッカーの聖地カオサン通りには、今、スタバやアップルの商品を扱う店(実際にはiStudioというサードパーティのお店。アップルからオーソライズを得てはいる)が普通にある。


  【2009年現在のカオサン】

バックパッカーの中にはiPhoneをもって町を歩いている人がかなりいる。いまや、iPhoneさえあればネットや国際電話がすぐにできるので、iPhoneはバックパッカーにとっても重要なツールとなっており、そうした現状に対応して、カオサンにもアップルを扱う店ができているわけだ。

『バンコク楽宮ホテル』が描かれた時代はもちろん、ちょっと前の時代においても、バックパッカーは、たとえばタイならタイでの特別な環境下で、自国から離れた孤独を受け止めつつ旅を楽しみ、そして時に、そこで知り合ったバックパッカー同士が繋がっていくなんて様子が多くあった。

『バンコク楽宮ホテル』もそんな話しだし、小林紀晴『アジアン・ジャパニーズ』で描かれるバックパッカーたちも孤独な旅をしながら自分を見つめていくような人々だった。

しかし、いまやiPhoneさえ持っていれば、いつでもどこでも、瞬時に自分の国の情報を取得し、瞬時に連絡を取ることができるので、これまでにイメージされるようなバックパッカー独特の孤独性ー異国の地で、知り合いもいなく、言葉も通じないような孤独感ーは薄れてきている。

今のバックパッカーはどこの場所にいても、比較的容易に自国の友人・恋人・家族に連絡をとり、結びつくことができるのだ。実際、カオサンのカフェでは、コンピューターを使って、スカイプの会話を楽しんでいる人や、iPhoneのアプリを一人楽しむ人を多く見かけるものだ。

大分、バックパッカーの旅のスタイルも変わったものである。

ただし、ひとつ言いたいのは、僕はこうした事態を別に憂うわけではない。もともと僕はバックパッカーの同士のコミュニティ的なつながりに興味はないし、バックパッカーという言葉自体にも然したる思いはないからだ。

僕は旅行に特別な意味を付与するわけではなく、単純においしい飯や酒が呑み食いできて、いろいろなところを楽しく観光すれば良いんじゃないかという派なのだ。


カオサンにいるバックパッカーの様子が一昔前と違うのは、要は置かれている環境の問題。

だから、カオサンの安宿のベッドの上で横になって、YouTubeを見て一日を過ごすっていうのも、ひとつのスタイルだし、別にいいんじゃない?って感じ、である。


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余談だが、

タイ人に「日本のお笑い芸人が怪我したらしいね」と言われた。

誰だろう?と思ってニュースを見ていると、出川哲郎さんだった。
タイのニュース報道によると、パタヤーのビーチで『テレビチャンピオン』の番組収録中に骨折したとのこと。

僕は出川さんファンなので、早く怪我が治ってほしいものだ。

ていうか、テレビチャンピオンって終わってなかったけ?
タイのニュース報道は、あまりあてにならないからなぁ。




先日、バンコク郊外の釣堀へ行って来た。



私は特につりに興味があるわけではないが、その釣堀はとても面白かった。皆でワイワイするにはもってこいだ。

まず、なにはともあれ、デカイ。写真では分かりにくいかもしれないが、数多くの光は、馬鹿デカイ池の周りに”浮いて”いる小屋だ。その数、数百。その小屋のひとつを借りて、釣りを楽しむのだ。


   【池を取り囲む小屋】

小屋は、半屋外となっていて、もちろん寝ることもできる。テレビもあるし、料理は電話一つで持ってきてくれる。(あまりに広いので、運び人は、無論チャリンコだ)







そんな部屋でくつろぎながら、酒を呑んだり、メシを食ったりする。



もちろん釣りもやる。ていうか、本来は釣りがメイン。
釣りが大好きな友人は、仕掛け作りに余念がない。



そして、こんなに大きな魚を釣りあげた。驚きだ。



釣ったこのとんでもない大きさの魚は、すぐに逃がされた。
しかし、普通サイズの魚は次の日、友人たちの手によって、揚げられてしまったようだ。僕は食していないけど。



ま、こんな感じで釣りを楽しむのだが、僕は実際に竿を握った時間はほとんどない。ウイスキーを呑みながらトランプ遊びって感じだ。

池をボーと見ながらウイスキーを呑む。気持ちがいいものだ。
日本から友達がきたら、こういうところに招待するのもいいかもしれないなぁなどと思いながら、深夜まで呑んでいた。

帰りは、池に落っこちそうでちょっと怖かった。



ちなみに、小屋の料金。詳しくは忘れてしまったが、確か24時間で2,000円くらいだったように思う。5,6人できたら、一人3~400円。うーん、安い。ただし料理・酒代は別。無論。持ち込みも、不可。
読売新聞によると、アメリカ・カリフォルニア州などの高校などで、紙の教科書に代わる「電子教科書」が導入され、注目されているらしい。

ื電子教科書を使用する利点としては、

①何冊もの教科書を持ち運ぶ必要性がなくなる(アメリカの教科書は特に分厚いとか・・・)
②常に最新情報に更新できる(教育関連財団などは、ネットで配信する教材作りに熱心で、無料で教材の提供を行っているとか・・・)
③経費の大幅な削減(これまでの紙による教科書代は、州の財政難の大きな要因となっているとか・・・)

の3点だという。

これにより、財政難で苦しむカリフォルニア州などは積極的に電子教科書を取り入れているらしい。

電子ペンを使えば、下線を引いたり、メモを書くこともできる。

電子教科書の端末は、シリコンバレーのメーカーが無償で提供。(さすが、シリコンバレー体質!)

ちなみに端末は1台150ドルする。それでも、従来の紙の教科書代に比べればはるかに安上がりで、5年後には電子教科書が主流になるのではないかとみられている。

事実、他の州も電子教科書導入の方向に向かいつつあり、教育に関わる技術が大きな変化を迎えようとしているのだ。


このニュースを見ると、電子化の波は、教育の現場にも押し寄せていることが伺える。

コンピューターやネットの拡大は、教育の現場を確実に変えていってるのだろう。
良い悪いは別にして。

たとえば、レポート試験に対する生徒たちの取り組み方も変わったとか。最近は、様々なサイトからコピペして、レポートとして提出するということが多々みられるらしいのだ。

大変、大きな問題だ。

もちろん、コピペをしている生徒ではない。
コピペでできてしまうような問題をいまだに作成している教師の側が、だ。

教育の現場を大きく変えるコンピューターやネットのパワーを無視して、これまでどおりのスタンスで、いうならば時代遅れの態で、教育をやってもしょうがないであろう。

ITが作り出す新たな知の体系においては、新しい教育のあり方も、当然のことながら求められるのだ。

とまぁ、そんなようなことを、教科書電子化のニュースを読んで思っていたのだった。

ちなみに、タイにも電子教科書がいつか導入されるのだろうか。
そうなったら、僕も欲しいなぁ。

でも、今はまだ想像できない。イサーン(タイ東北部)の子どもたちが電子教科書を持って家を出て行く姿が・・・。

先日、久しぶりにファランポーン駅へ行った。

ヤワラートといわれる中華街で食べたご飯がイマイチだったので、ファランポーン駅へ気分転換に歩いてきたのだ。


ファランポーン駅はタイの各地域に行くための基点となる駅。
だからこの駅では、様々な人種の人を目にすることができる。

僕は、あの雰囲気がなんともいえず好きだ。


この駅との付き合いはかれこれ10年以上になる。
初めてこの駅に来たのは確かアユタヤーに行くときで、まだ10代だったかもしれない。


そして、タイに住みはじめた4年半前。

まだアパートも決まっていない状態でタイに来た最初の夜は、ファランポーン駅前のホテルに泊まった。

重いスーツケースを抱えて、ホテルに行ったこと。そして、次の日にはアパート探しをして、意外とすんなり決定したこと。日用品を買い込んだこと。携帯を買ったものの、チャージの仕方が分からなくて困り果てたこと・・・。

タイに来た当初のことは、今でもすべて鮮明に覚えている。まるで昨日のことのようだ。

あれから、このタイで、本当に色々なことがあった。でも、すべてが夢のように感じる。



何か自分は変わったのかなぁ。きっとあんまり変わっていないんだろうな。

夜のファランポーン駅をあとにした。

最近ハマっているクエイティアオ・クア・ガイ。
太い麺と鶏肉、そしてキャベツのバランスが最高だ。


写真のクエイティアオ・クア・ガイは、アパートの下から持ってきてもらった料理だ。

タイには、下に食堂があって、そこに内線で電話をかければ、すぐに料理をつくって持ってきてくれるというサービスをもつアパートが非常に多い。もちろん、食べ終わった食器は部屋の前に置いておけば、持って帰ってくれる。

いうなれば、アパート内で出前をやっていて、内線ひとつで注文できるのだ。


これは、なんとも便利なシステムである。


よく僕は、体調を崩したときには、お粥を注文する。外に出ないですむのは、本当に便利だ。

また、バンコクは雨季になるとすぐに水浸しになって、歩くのが至極面倒になるが、この出前システムがあれば、そんなのお構いなしだ。

メニュー豊富で、値段も安く、そして非常に便利な内線の出前。
これを味会うと一気に自炊が遠のくものである。

ちなみに写真の料理は30バーツ(約84円)だ。


本屋帰りに、チャオプラヤー沿いでビール。超、至福の時です。



ラーチャダムヌン通りの民主記念塔前にある本屋へいってきた。

この本屋は、たくさんの本があることはもとより、掘り出し物的な古い本がでてくることが多い。ということで、ちょっと出版から月日がたってしまった本を買いに行く際には、ここが最適だ。

何冊かのリストを持って店に入り、店員にその本の有無を聞こうとしたとき、目に留まってしまったのが、50%オフのアヌマンラーチャトンの全集である。アヌマンラーチャトンは、タイの柳田国男的存在で、タイの民俗や文化の問題について幅広い著作活動を展開した人である。

文化・言語・歴史・物語など、いろいろなテーマの本を約20冊ほど購入。当初の目的であるリストの本についてはすっかり忘れて店をあとにした。

そんなに買っておいて、果たしていつ読むのか。そしてそもそも根本的に意味はわかるのかという点はおいておき、上機嫌のまま、チャオプラヤー川までぶらぶら歩いた。こんなとき本の重さはさほど気にならない。

川沿いのなかなか雰囲気のいい店で、休憩がてら食事をした。



ちょっとリッチ?に、リオビールではなく、シンビールに。
うーん。本屋のあとのビールは最高だ。しかも夕日の沈みゆくチャオプラヤーは絶景。



タイに住んでいることを、心から幸せに感じる一日だった。

白石一文『僕のなかの壊れていない部分』光文社・2005年



白石氏らしい作品。
おそらく作品に対する評価は、分かれるだろう。

主人公が言った

「・・・・人には、与えられた命をどうにかする権利なんてこれっぽちもないんだから。命を自分の意志や力でどうにかできるなんて考えてしまったら、恋愛なんていう脆弱でかりそめの花は、咲き誇るどころか、たちどころに枯れ果ててしまうに違いないからね。人間一人一人が生命を自分のものだと考えることで生み出される世界では、ただ暴力と差別、支配と隷従だけしか生き残れないと僕は思っている。いま、この世界がまさにそうであるようにね」

という言葉は、まさに白石氏らしさ爆発である。

コレまで僕は、以前このブログでも紹介した『この世の全部を敵に回して』のほかにも『一瞬の光』『すぐそばの彼方』『不自由な心』など数々の白石作品を読んだが、そのすべてにおいて白石氏の世界観や哲学が表現されている。

ま、もちろんそんな世界観や作品の雰囲気については賛否両論あろうけど、僕は氏の深い問題意識とクールなものの見方に共感を覚える。

特に”死”に対するこだわりと深い思考の態度が、いいなぁ。
あと、タイトルのセンス。


スタット寺では、雨が降り出した。


サオ・チンチャーを見たからには、ワット・スタット(スタット寺)を見ておかねば、ということで寺へ。



スタット寺は、サオ・チンチャー(巨大ブランコの柱)の目の前にあるお寺である。サオ・チンチャーと同じく、この寺はラーマ一世によって建立された。




境内に入ると目に入ってくるのは、寺を取り囲むように安置されているたくさんの仏像である。



そして、なんとも美しい、仏像。



境内は落ち着いた雰囲気である。



礼拝堂には巨大な大仏。こちらもまた、神々しい。




少し中国風の装飾が目立つ寺の中は非常に落ち着いた雰囲気で、心が洗われたようだ。
また、僧侶から聖水儀礼も受けたので、本当に心が洗われた。
とても、爽快な気分。

しかし、あいにくの雨が降り出した。
これから自転車で久しぶりにカオサン通りにでも行こうかと考えていたので、残念なかぎりだ。
ていうか、自転車で部屋まで帰るのも困難か・・・。


ということで、少し雨宿りを。

時間はゆったりと流れる。

雨宿りは、タイに似合っている。




その姿はまるで、日本の鳥居。
しかし実はブランコの柱である。




先日、バンコクを自転車で疾走した際に、サオ・チンチャーを見てきた。



サオ・チンチャーとは「ブランコの柱」を意味する。
高さは20m以上もあり、堂々たるものだ。

これが建立されたのは1784年で、ラーマ一世の命による。ラーマ一世は、バラモン教方式の豊作を祈願するブランコ祭りを行うためにこの柱を建てたのだ。


では、ブランコ祭りとはどういうものか?

それは、サオ・チンチャーにぶら下げられたゴンドラに4人のバラモン司祭が乗り、激しくゴンドラを揺らす。そして、サオチンチャーのマスト部分に下げられたお金の入った袋をとるというものだ。






ゴンドラを激しく揺らすことで、インドラ神の降臨を仰ぎ、その年の豊作を祈願したという。

それはまさに、フレイザーのいう類感呪術の儀礼にあたるであろう。(ジェームズ・ジョージ・フレイザー『初版金枝篇』上下)
つまり、豊作で稲穂が風に揺れる様を、ブランコの揺れによって表象することで、それを実現しようというのである。


ま、そうした儀礼実施の理由はどうあれ、なによりも巨大な柱にぶら下げられたゴンドラが、大きく揺れ動くこの祭りは、相当スリリング。当時、大人気だったという。



とはいえ、巨大なブランコを大きく揺らすということで、かなりの危険をともなったことは否めない。過去に幾度となく、ブランコからの落下による死亡事故が起きたという。

そのため、1935年にブランコ祭りは中止を余儀なくされた。


今は、ボーっと、空に向かってそびえているのみ、というわけである。





森山軍治郎『民衆蜂起と祭り―秩父事件と伝統文化―』筑摩書房・1981年



秩父事件は、1884(明治17)年10月31日に埼玉県西部にはじまり、その後群馬県や長野県にまで範囲が広がった大規模な民衆蜂起である。民衆数千人が負債の延納や雑税減少などを求めて武装蜂起した。

本書の執筆者森山軍治郎氏は、秩父事件の当事者が残した日記の中に、俳句や和歌が盛り込まれていることに着目した。氏は、そうした俳句を文学作品としてではなく、歴史研究のための史料として扱うことで、秩父事件の中に潜む民衆の精神史を探り出そうと試みたのである。

また、氏は俳諧だけでなく民衆が伝統的に行ってきた祭りにも着目し、民衆が日常から蜂起へと高まりを見せる際に、祭りが重要なバネとなっていたことを示したのである。

いうならば、民衆の伝統意識や民衆の文化のレベルに着目して、秩父事件を位置づけたのである。

こうした視点は、イヴ・マリ・ベルセの『祭りと叛乱』(新評論・1980年)を想起させる。共同体での祭りの構造が、民衆の叛乱と不可分に結びついていたことを示し、16-18世紀の民衆の心性を、イヴ・マリ・ベルセは見事に描いた。(原文は1976年)

森山氏は、『民衆蜂起と祭り』を書くまで、フランス史をずっと専門にしてきたとのことなので、イブ・マリ・ベルセやエマニュエル・ル・ロア・ラデュリといったフランスの歴史学者の影響を大きく受けたのであろう。

それはさておき、森山氏が描いた秩父事件と民衆の心性の問題は、僕にとって非常に興味深く、おもしろいものだった。

僕自身、こうした視点の重要性を思い、現在はタイの民衆運動を民衆の文化の視点から考えている。

それは、『祭りと叛乱』なんかを読み返してみるといつも、今でも学ぶべきものは多いなぁと思うからだ。つまり、イヴ・マリ・ベルセは、民衆の祭りの中に日常を非日常に変える大いなる”パワー”を見出し、それを共同体との関連で語った。

そして現在、新たな共同体と個人の概念や理論が模索されているが、それを民衆の持つ文化の文脈で読み解いていくことは重要であろう。なぜならば、これだけネットが広がり、国の壁を越えたコミュニティが重層的に形成されている中で、重要な意味を持つのが、経済どうこうではなく、文化や人々の心の問題だと考えるからである。

その意味で、30年前に書かれた『祭りと叛乱』や『民衆蜂起と祭り』の視点は、まだまだ色あせていないのではなかろうか。そんな思いで、タイ東北部イサーンの民衆運動の史料を眺める毎日だ。


東野圭吾『手紙』文春文庫・2006年



強盗殺人を犯した兄を持つ弟の、悲しい人生の話だった。

弟の人生の様々な場面で、殺人犯を犯した兄の存在が立ち現れて、邪魔をする。
何をやってもうまくいかない。
殺人犯を身内にもつ現実を、真正面からリアルに描いたこの作品のラストは、泣けた。

真保裕一『繋がれた明日』なんかもそうだが、殺人犯に関わる内容は、やはり、重い。

『繋がれた明日』は、殺人犯を犯したものが出所後、社会の中でどのように生きていくかという物語。そして、『手紙』は殺人犯を犯してしまった者をもつ家族の話しだが、どちらもやはり、重い。

でも、両者の本は、重くて、生々しいテーマに対して、真面目に真摯に、真正面から迫っている。

だから、深い感動を与えるのだろうなぁ。


今村仁司『近代の思想構造 世界像・時間意識・労働』人文書院・1998年




目次を見ても分かるが、本書では、「近代」を構成する様々な特質が取り上げられている。そして、その特質から構成される思想の体質を「近代の思想構造」として分析されているのだ。

氏は、近代とは労働の時代であり、近代社会とは労働社会であるとする。そして近代は、17世紀の絶対王政期以降から始まり、その後200年周期で変遷しているとする。つまり近代は、

①絶対王政、重商主義の17・18世紀(帝国の崩壊と近代国民国家の形成期)
②フランス革命~現在の19・20世紀(産業資本主義、ブルジョアジー覇権期)
③これから

と区分され、①から②への変遷の過程で、生産主義的な精神構造が構築されるということを、ヘーゲルやマルクス、ウェーバー、ハイデガーなどの諸思想家を持ち出して、説明している。

③のこれからの近代には、ポストモダンの議論をもとに、能動的ニヒリズムをキーにすることが述べられていたが、あまり自分の中でスッと入ってこなかったので割愛。

共感したのは、本書で扱う「思想」は、いわゆる僕たちが「思想」と聞いてイメージするような、理論的に表現される思想のみならず、人々のなかで当たり前になってしまって「倫理的雰囲気」になってしまっているような思想も包括されているということである。

それは今村氏が、諸時代に生きる頭の良い思想家たちの諸思想もさることながら、実のところ、諸時代の諸社会の中で人々が無意識の間に駆動させているような思想こそが重要であり、着目すべきではないかという問題意識をもっているからといえる。

その点は、僕も同意見だ。特に現在のように、web2.0の集合知が重要性を帯び、専門家や知識人の考え方や思想が相対化されている状況からしても、今村氏の視点は歴史を見るにおいて必要とされるであろう。

まぁ、そうした視点は、たとえば民衆思想への着目という点からすると、日本では色川大吉氏や鹿野政直氏、安丸良夫氏などによる民衆思想史研究があって、その歴史はそれなりに長いのだけども・・・。


本書の目次は次のとおり。参考までに。

〈プロローグ〉
Ⅰ近代とは何か
はじめに
 1近代性の構造  
  1自己との関係(対自関係)/2他人との関係(対他関係)/
  3自然と人間との関係/4時間の意識/5機械論的世界像
 2近代の世界像とその批判  
Ⅱ「考える」とはどういうことか
  はじめに  
  1 ヘーゲルとビルドゥング
  2 マルクスと「ヘパイストスのハンマー」
  3 ニーチェと「ハンマーで考える」  
  4 ベンヤミンと目覚めること  
  5 現象学と「エポケー」
  6 驚きと思考

第一章 機械としての世界=機械状組織
  1 機械的心性の形成  51
     科学革命と近代哲学/社会的要因
  2 機械‐組織
     近代国家/ホッブズとアダム・スミス
  3 管理する機械  
     近代のデーモン/社会管理機械/企業管理機械
  4 技術と人間の関係  
     フリードマンの研究/フリードマンとハイデガー/主人と奴隷
第二章 支配の方法=主人と奴隷
  1 方法的精神を要求するもの 
     二重革命
  2 自然の征服
     ベーコンの方法論/デカルトの方法
  3 主と奴
     自己意識/欲望/主と奴
  4 呪術からの解放  
     オデュセウスとセイレーンとの対決/世界の二重性
  5 世界実験/世界経験
     世界実験/世界経験
第三章 交通としての社会=市民社会
  はじめに
  1 政治の構築
     暴力的死からの脱出/虚栄心/理性の要請/社会契約論
  2 欲望による「経済」の構築  115
     ヒュームの国家論/国家の市民社会化/欲望による経済の構築
  3「法」による「人格」の構成  125
     目的の国/快感原則と禁欲のエートス

第四章 労働と倫理と労働社会の到来
  1 労働の突出と優位
     労働表象の転換/労働の突出
  2 禁欲倫理の成立  
     西欧近代/キリスト教の禁欲倫理/世俗内禁欲/自己規律(自己審査)/
     形式としての労働
  3 方法的ニヒリズム  
     二つの方法主義/理性の禁欲主義/欲望と芸術の否認/ニヒリズム/人間の死
  4 法と契約
     約束と忘却/刑罰/自己規律と自己立法の起源/自己犠牲/
     自律と他律/欲望と暴力
第五章 近代の時間意識=企てる精神
  はじめに
  1 先取る意識
     伝統の拘束/商業と未来の先取り/教会の時間と商人の時間/
     時間の計測/鐘と時計
  2 企画
     モダンの意識の芽生え/巨人と小人/進歩の意識/企てと未来
     意識/認識/道徳/企てとしての道徳
  3 企業  
     企業の精神/既成軌道の打破/異物としての企業家
  4 企てる精神の効果  187
     ユートピア/革命/全体主義的管理
〈エピローグ〉
モダンの横断
  1 エポックとしての近代 
     ポストモダン論議について/三つの近代/予兆としての六八年
     /近代の再記述/トランスモダンの先駆
  2 雑種の精神
  3 貨幣について
  4 セクシュアリティについて
  5 追憶と追悼
  6 歴史の終焉について
  7 人生の日曜日
  8 空間の再発見  
  9 技術時代と遊戯の精神 
  10ニヒリズムとシュールユマソ
あとがき


まさに、圧巻だった。



マイケルジャクソンの『This is it』を見てきた。


僕は小学校の頃、マイケルジャクソンが大好きだった。今にして思えば、なかなか本物を見る目のある子どもだ。


1987年来日のコンサートビデオは、当時小学校2,3年生のはずだが、見まくっていた。
なぜか、バックダンサーの踊りをマスターしようとしたのを覚えている。
だから、"This is it"の中でのダンサーの振り付けを、ほぼ知っていたことは、自分自身、非常に驚いた。あれから20年以上経つというのに、覚えているもんだなぁ。

また、ドームでのコンサートにも行った。
小学校の低学年だったと思うから、あれは88年の「バッドツアー」だったのだろうか。
詳しいことは覚えていないが、僕は椅子の上に立ってマイケルを見ていたことは忘れていない。

あれだけマイケルジャクソンのことが好きだったのに、中学に入って以降、パタリと熱が冷めた。

でも、マイケルの死以降、いろいろな場面でマイケルの映像を見て、マイケルの凄さを再認識した。


そして、"This is it"。



よかった。

マイケルのダンスや歌のうまさ、かっこよさは、言うに及ばない。

衝撃をうけたのは、マイケルの人間性だろうか。
誰とでも、気さくに話しているマイケルの姿をこれまで想像したことがなかった。

それでいてプロ意識の塊。どんなことも妥協せず、最高のステージを作り上げるために、みんなと力を合わせる。でも決して独りよがりではない。

コンサートに携わっているある人が、マイケルのことを、「フレンドリーでいて謙虚だ」と評していた。まさにそのとおりだと思った。


いろいろな場面で、衝撃を受けたし、いろいろな場面で、目頭が熱くなった。
なぜかわからないけど、心がいっぱい揺れた感じがした。

最後は、泣いた。

最後は、映画館にいた観客全員が、エンディングロールすべてを見尽くし、そしてあつい拍手をマイケルに送った。
「マイケルありがとう!」と叫んでいる人もいた。

本当に見に行ってよかった。


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マイケル熱が冷めず、87年のコンサートビデオを見ている。
やっぱ、凄い。圧巻だ。

そして思い出した。
そういえば、デンジャラスツアーのときのTシャツが家にあったんじゃないかと。
思い出グッズ的に取っておいたはずだと。



そして確かに、箪笥にあった。
すっかり古くなってしまったTシャツだけど、あって嬉しかった。


NHKの『シリーズ未来をつくる君たちへ 勉強ってなんのため? ~立花隆が語る「緒方洪庵」~』を興味深く見た。


かつて司馬遼太郎さんは、日本には明るい未来がやってくると言った。若者たちは、よき社会の中で、よりよく生きることができると、司馬さんは(期待をこめて)考えたのだ。

しかし、立花さんは、そんな司馬さんの描いた未来像は、現段階において到底訪れる兆しはないと、中学生に熱く語った。「これからの日本社会は、本当に暗いんだぞ!」と、今の中学生にはっきりと言い切ったのだ。

そして、立花さんは、今後を担う中学生に対し、インターネットと英語の重要性を強く認識し、それをフルに活用して生きていくようにアドバイスしていた。


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僕は基本的に立花さんの言ったことには、賛成だ。最近の日本に関するニュースは、本当に暗い。嫌気がさすようなニュース満載だ。

だから、現実から目を背けるような理想論を並べてみても意味がない。これからを担う若者に現実をきちんと認識してもらい、未来を見据えて欲しいという立花さんの主張は正しいんだろうなと思う。

ま、とはいえ、中学生がどこまでそれを理解できるかは不明だけど。やはり、人間、一程度の経験や見識が深まっていくことで、物事を知ることができるということは多々あるわけだ。

別に中学生が無知とか言いたいのじゃなくて、ある程度年をとってから気付くことってたくさんあるってこと。あの時、あの人が言ってたのは、こういうことかって、後で気付くことって多々あるわけで。

だからきっと、僕も立花さんが本当に言いたいことのすべてを理解しているとはいえないだろうと思うし。

要するに、”実感”できるかどうかってことかな。

だから、きっと立花さんの講義を聞いた中学生たち(や僕)は、いつかきっと、立花さんが本当に言いたかったことを”実感”するときがくるんじゃないかなと思う。

いや、正確に言えば、立花さんが言いたかったことはこういうことかという解釈を、何らかの経験を通して実感するということかぁ。うーん。面倒くさい言い方だ。ま、いっか。


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でも、ひとつ思うのは、政策というのは、立花さんや他の多くの人々が警鐘を鳴らすような未来像をどう変えるかという観点からたてられるべきではないかなぁということ。

たとえば、立花さんや梅田望夫さんなどがいうように、これからはインターネットは必要不可欠。”あちら側の世界”と”こちら側の世界”の両者でうまいこと生きていかねばならない時代である。ネットさえあれば、誰でもが表現を自由に行うことができて、これまでの権威だなんだという秩序が脅かされていくようなそんな時代を迎える。

そんな大きな大変革を迎える時代に現在我々はたっているという認識に立ったら、今後なにが政策に重きをおかれるべきかというのは、自ずと見えてきてよさそう。

なのに、子どもをもつ家庭にお金をあげる、とかなんとか。うーん。経済不振で、お金がないからお金を上げる。言っちゃ悪いけど、すごい短絡的。

それなら、子どもにあげるという点では、これからのネット時代を見据えて、子どもに早くからコンピューターに触れさせておこうということで、子どもを持つ家庭にコンピューターと、ネット環境を整えてあげるみたいな方が、将来的に非常に有意義だと思うのだが。

ま、僕は政治家じゃないので、とやかくはいえないけど。
でも、選挙には行ってるから、少しくらい言ってもいいかな?


「タダコピ」。中国進出か・・・。すごいなぁ。いずれ、タイにも来るのかなぁ。


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「タダコピ」とは無料でできるコピー機のこと。
大学構内に設置されたこのタダコピを使えば、学生は無料でコピーができちゃうのだ。だから、タダコピ。

コピー代がタダとなるのは、コピーの裏面が広告媒体になっているからだ。企業がコピー裏面に広告を載せるかわりに、コピー代金をもつというわけである。

広告を出す企業にとっては、比較的安価で、学生の若者世代をターゲットにしぼった広告(たとえば旅行、成人式用の着物、リクルート関係などなど・・・)を発行することができる。

そして、学生にとっては、何かと必要となるコピーを無料で行うことができる。

だから、タダコピは、どちらにとっても非常にお得で、WIN-WINの仕組みになっているのである。

そして、もちろん、”学問の活性化”という観点からすれば、大学にとっても良いシステムとなっているといえよう。

2006年に慶応大学と法政大学に初めて設置されて以降、どんどんとその設置場は増え、現在では全国で50以上の大学に導入されている。

そして先月、中国の復旦大学および松江大学構内のコンビニエンスストアーにも導入されたのだ。

ついに世界進出。

ということで、ここタイにも来ないかなぁと期待してしまう。

しかし、タイのコピーは、基本自分ではやらない。あくまでも、コピーをとってくれるお店や人に渡して、やってもらうのが基本だ。

それが、至極、便利。「本、全部コピーお願いします」とか「ここからここまで、お願いします」などと預ければ、もちろん混み方しだいだが、基本的にすぐに仕上がってくるのだ。

これに慣れてしまうと、日本のように自分でコピーをするのは億劫になる。

だからもし、タダコピをタイに導入するのであれば、そうしたタイのシステムを崩さないで上陸して欲しいものだが、きっと難しいであろう。

タイにおいて、タダコピを使って自分でコピーをとるか、それとも、人に頼んでコピーをとってもらうか悩みどころだ。なにしろ、タイのコピー代は1枚1.3円くらいだからねぇ。時間を買うという意味で、人に頼んでしまうんだろうな。

ちなみに、このタダコピという画期的なコピー機をつくったのは、株式会社オーシャナイズという会社。社長はなんと25歳という若さらしい。うーん。すばらしい。
まさにW・チャン・キム/レネ・モボルニュ著 有賀 裕子訳『ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する』(ランダムハウス講談社 2005)の世界だなぁ。


コピー代1.3円/枚のことを、あーだこーだと考えている僕と、何たる差だろう。なんだか、悲しくなってきた。



    【遺跡入り口。石と石の間に入り込んでいた子猫。しゃべりかけると揃ってニャーと泣く】



ローイエットにしばらく滞在して、史料を集め回る予定だったのに、急きょバンコクにて予定が入ってしまった。そこで、残念だがローイエットを後にして、ダッシュでバンコクへ戻ることに。

とはいえ、用事は明日の朝から。
今日は夜遅くバンコクに着いても構いはしないということで、民衆運動があった場所とプラゴーナー遺跡だけでも見に行くことに。

そこで、ローイエットのお世話になっている人に、急きょバンコクへ帰らなくてはならなくなった旨を伝え、家を後にした。また、近いうちに来ることを約束した。

特にKさんの娘さんには誕生日には絶対に戻ってきてほしいなぁと、ボソッと言われたので、そのときにはまた是非来ようと決めたのだった。

そして、ベッドに関しては、本当にごめんなさいという気持ちでいっぱいだった。


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遺跡も民衆運動があった場所も、バンコクとは逆方向にあたったのだが、そんなことはお構い無しに、車を走らせた。

まずは、民衆運動のあった地へ。(といっても、その道すがらで、目的の遺跡を見かけたのだが)

民衆運動があった村の付近に到着するも、肝心の村の所在が分からない。

そこで、困ったときの役所ということで、情報を収集しに。いくらかの資料を得ることができ、また村の位置も把握した。

役所から村へ車を走らせ、到着した。予想通りとはいえ、当時を思い起こさせるものがあまりに何もなかった。本当にここで、何百という人々が立ち上がり、政府に対する反抗を見せたのか?というほど穏やかで、イサーンではどこでも見受けられるような村だった。

何人か村の古老に尋ねてみるも、当時のことは知らないという回答。

これは、今度まとまった時間をとって、誰かしらの紹介のもとで、きちんと聞き取り調査に来なくてはだめだなと考え、ちょっとの滞在で村を出ることにした。

史料を読むだけでは、どうしてもイメージがわかないから、今回実際に現地に来たことは決してマイナスではないだろう、などと思いながらバーミー(タイ風ラーメン)をすすった。
なぜだろうか、イサーンで食うバーミーはバンコクより安く、そして異常に美味に感じる。

気分的なものか?


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そのあとは、プラゴーナー遺跡へ。




ここは、マハーサラカム県の変わった村祠と関係する遺跡だ。そのため、興味があってきてみたのだが、驚いたことに、かつてKさんに連れられてきた遺跡だった。

ということで、どちらかというと懐かしいなという感覚で、遺跡を見たのだった。

遺跡は、11世紀ころに建てられたとされる。クメール様式。

当時のまま残っているが、やはりところどころ痛んできてはいるようだ。











遺跡の細かいことと、マハーサラカムで見た村祠とのことについては、調べがついた際に、記すことにする。


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僕は遺跡を後にした。

すると、遺跡の周りには、サルがウジャウジャいて、僕の車の上にもかなりの数、のぼっていた。一匹にいたっては、ラジオのアンテナをガシガシと噛んでいた。

また、車の周りには、観光客にサルのえさを売り歩くおばちゃんたちが、5,6人いた。タイ人ならば、タンブン(徳をつむ)のためにえさをおばちゃんたちから買って、それをサルにあげるのだろうが、僕は車に悪戯をしまくっていたサルにわざわざえさをあげる気にならず、また、実はちょっとサルが襲ってくるのが怖かったので、急いで車を出した。

車の中で、おばちゃんたちには悪いことをしたなと、ちょっと反省した。
サルに対しても大人気なかったかもしれない。


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そして、ここから6時間か7時間だろうか。田舎道を延々と、1人、車を走らせてバンコクに戻った。もちろん、”くりぃむしちゅー”で。





穴のあいたベットをしばし呆然と見つめた。

酔っ払ってベッドの端に手をついた瞬間に、ドカーンと穴が開いたのを、ありありと思い出すことができた。

役所の前で朝ごはんを食べているとき、Kさんにお詫びした。



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Kさんは、村内において重要なポストについている。

そんなKさんが、今日は村のさまざまな委員を決める寄合があるから、見てみたらどうだと誘ってくれたので、行って来た。

朝、9時。続々と村人が、会議の行われる部屋へとやってきた。



そして集まった村人たちは、議論される話題が書かれた書類に熱心に目を通すのであった。


議論は、kさんの司会進行によって進められた。




ホワイトボードにいろいろな委員名が記載され、それぞれの仕事内容をKさんが説明し、それに対し、村人が質問するという流れで議論が進んだ。

ただし、このときの雰囲気は和気藹々であり、べつに堅苦しいものではない。発言したい人は自由に発言し、時にはおちゃらけたことを言って爆笑をさそう。いや、むしろ、おちゃらけた発言のほうが多いかもしれない。(こんなことを言っては失礼か)








そして、最後に、それぞれの委員に適切だと思われる村人が、推薦、あるいは自薦により選出されていくのである。”村の変わり者”的オヤジが、すべての役職に立候補したが、そのすべてが村人たちに却下されていた。彼は、「えへへ」って感じでおちゃらけて笑ってはいたが、瞳の奥は泣いていることを僕は見逃さなかった。



そして、今後の村の仕事を行う役員が決定し、前に並び、承認されたのであった。

寄合には、テレビクルーも入り込んでいた。その中でみなワイワイ、あーでもない、こーでもないと、約3時間、非常に盛り上がっていた。

また、村の政治に対する村人の意識の高さみたいなものも、少し垣間見れたと思う。

楽しく、政治参加。うーん。悪くない。